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「私たち」はなにものか/宮本常一(畑中章宏) - 見もの・読みもの日記
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「私たち」はなにものか/宮本常一(畑中章宏) - 見もの・読みもの日記
〇畑中章宏『今を生きる思想:宮本常一:歴史は庶民がつくる』(講談社現代新書) 講談社 2023.5 はじ... 〇畑中章宏『今を生きる思想:宮本常一:歴史は庶民がつくる』(講談社現代新書) 講談社 2023.5 はじめに「民俗学」という学問について、著者は次のように解説する。人文科学は「私たちはどこから来たのか」「私たちはなにものか」「私たちはどこへ行くのか」という命題を追究するものだ。「私たち」の範囲は学問領域によって異なるが、柳田国男は、20世紀の日本列島に住む日本人を「私たち」と措定して「日本民俗学」を立ち上げ、「私たち」の起源・定義・未来を追究した。このとき柳田は「心」を手がかりにしたが、「もの」を民俗学の入り口にしたのが宮本常一(みやもと つねいち、1907-1981)である。 なるほど、この整理は分かりやすい。しかし宮本の民俗学というと、私は「もの」(民具研究)よりも、旅、聞き書き、座談、フィールドワークの人というイメージが強い。本書も代表作『忘れられた日本人』を読むことから、宮本へのア