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持統太上天皇と文武天皇の紀伊国行幸の折の歌(3)・・・巻第9-1676~1679 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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持統太上天皇と文武天皇の紀伊国行幸の折の歌(3)・・・巻第9-1676~1679 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
訓読 >>> 1676 背(せ)の山に黄葉(もみち)常敷(つねし)く神岡(かみをか)の山の黄葉は今日(け... 訓読 >>> 1676 背(せ)の山に黄葉(もみち)常敷(つねし)く神岡(かみをか)の山の黄葉は今日(けふ)か散るらむ 1677 大和には聞こえも行くか大我野(おほがの)の竹葉(たかは)刈り敷き廬(いほ)りせりとは 1678 紀の国の昔(むかし)弓雄(ゆみを)の鳴り矢もち鹿(しし)取り靡(な)べし坂の上(うへ)にぞある 1679 紀の国にやまず通はむ妻(つま)の杜(もり)妻寄しこせに妻といひながら [一云 妻賜はにも妻といひながら 要旨 >>> 〈1676〉背の山にもみじ葉はいつも散り敷いているけれど、神岡の山のもみじは、今日あたり散っているのだろうか。 〈1677〉大和にいる妻は知っているだろうか、ここ大我野で竹葉を刈り取って敷き、一人わびしく仮寝しているのを。 〈1678〉その昔、紀の国に武勇の者がいて、鳴り矢をうならせて鹿猪(しし)を退治し一帯を平定したという、ここがその坂の上である