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掃除・片付け
bonjin5963.hatenablog.com
訓読 >>> をちこちの礒(いそ)の中なる白玉(しらたま)を人に知らえず見むよしもがも 要旨 >>> あちこちの海辺の石の中にひそむ美しい玉(真珠)を、どうかして他人に知られず見ることができないだろうか。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「玉に寄せる」歌。「白玉(真珠)」は、尊く美しい女、「をちこちの磯」は、その白玉を厳しく取り巻いて護っている人々を意味しており、作者は近づきがたい高い身分の女に恋しています。そうした女性はずっと家の中にいたため、男は垣間見(かいまみ)、ありていに言えば「のぞき見」するよりほかなかったのです。それにしても「をちこちの」と言っていますから、ひょっとしたら「のぞき趣味」の男が詠んだ歌かもしれません。「もがも」は願望。
訓読 >>> 天(あめ)にある日売菅原(ひめすがはら)の草な刈りそね 蜷(みな)の腸(わた)か黒(ぐろ)き髪に芥(あくた)し付くも 要旨 >>> 天にある日に因む、この日賣菅原の草を刈らないでくれ。せっかくの美しい黒髪にゴミが付いてしまうではないか。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から、旋頭歌形式(5・7・7・5・7・7)の歌。「天にある」は天上の日の意で、「日売菅原」の枕詞。「日売菅原」は地名か、あるいは姫菅(ひめすげ:カヤツリグサ科の多年草)の生える野原の意か。ここでは共寝をする場所として言っています。「草な刈りそね」の「な~そね」は禁止。「蜷の腸」は「か黒き」の枕詞。「か黒き」の「か」は接頭語。「芥」は、ごみ。「し」は強意。前句で「天にある日売菅原」といって天上世界の聖婚の場を想起させながら、後句では草を刈ってはならない理由を、共寝する女の髪に芥、すなわちゴミがつくからと卑俗的なこ
訓読 >>> 1114 我(わ)が紐(ひも)を妹(いも)が手もちて結八川(ゆふやがは)またかへり見む万代(よろづよ)までに 1115 妹(いも)が紐(ひも)結八河内(ゆふやかふち)をいにしへのみな人(ひと)見きとここを誰(た)れ知る 要旨 >>> 〈1114〉私の着物の下紐をあの子が結い固める、その”結う”の名がついた結八川、この川をまた訪ねて眺めよう、いついつまでも。 〈1115〉あの子が下紐を結うという名の結八川、その河内の景色を昔の人も眺めていたというが、それを誰が知ろう。 鑑賞 >>> 「河を詠む」歌。1114の上2句は「結八川」の「結」を導く序詞。男女が交わったあと、互いに相手の衣の紐を結んで再び逢うまで解かないと誓い合ったことを、序詞の形で言っています。「結八川」は、大和国内の川とみられるものの所在未詳。1115の「妹が紐」は「結八」の枕詞。「結八河内」は、結八河の河内で、「河
訓読 >>> 4066 卯(う)の花の咲く月立ちぬ霍公鳥(ほととぎす)来(き)鳴き響(とよ)めよ含(ふふ)みたりとも 4067 二上(ふたがみ)の山に隠(こも)れる霍公鳥(ほととぎす)今も鳴かぬか君に聞かせむ 4068 居(を)り明かしも今夜(こよひ)は飲まむほととぎす明けむ朝(あした)は鳴き渡らむそ 4069 明日(あす)よりは継ぎて聞こえむほととぎす一夜(ひとよ)のからに恋ひ渡るかも 要旨 >>> 〈4066〉卯の花が咲く月がやってきた。ホトトギスよ、やって来て鳴き立てておくれ、花はまだ蕾みであっても。 〈4067〉二上山にこもっているホトトギスよ。今こそ鳴いてくれないか。わが君にお聞かせしたいから。 〈4068〉このまま夜明かししてでも今夜は飲んでいよう。ホトトギスは、夜が明けた朝にはきっと鳴き声を立てて飛んで来るに違いない。 〈4069〉明日からはひっきりなしに聞こえるはずのホトト
訓読 >>> 家に有る櫃(ひつ)に鏁(かぎ)刺し収(おさ)めてし恋の奴(やつこ)がつかみかかりて 要旨 >>> 家にある櫃に鍵をかけ、しまい込んでいたはずの、あの面倒な恋の奴めがつかみかかって来て。 鑑賞 >>> 穂積皇子(ほづみのみこ)の歌。左注に、宴会が盛り上がってきたときに、好んでこの歌を詠み、お定まりの座興となさった、とあります。一説によれば、穂積皇子は「つかみかかりて」と歌いながら、宴席に侍って酒を勧める女性に不意に抱きついて驚かせ、場の座興にしていたのだろうとも言われています。「櫃」は、蓋のついている木箱。「恋の奴」の「奴」は賤民身分の男の使用人のことで、ここでは自分を苦しめる「恋」を擬人化しています。当時かなり流行った言葉らしく、幾つかの歌にも用いられています。穂積皇子は、若いころの但馬皇女(たじまのひめみこ)との恋愛で有名な人ですが、不幸にみちた愛への懊悩からか、その後の皇
訓読 >>> 君に恋ひ萎(しな)えうらぶれ我(あ)が居(を)れば秋風吹きて月かたぶきぬ 要旨 >>> あなたに恋い焦がれ、打ちしおれてしょんぼりしている間に、秋風が吹き、いつの間にか月が西空に傾いてしまいました。 鑑賞 >>> 「月に寄せる」歌。「萎えうらぶれ」の「萎え」は萎(しお)れ、「うらぶれ」は物思いにしおれる意で、同じような意味の語を重ねたもの。男の通いは、月が出ている夜でなければならず、しかも夜が更けてからの通いは禁忌とされました。ここでは「月かたぶきぬ」とあるので、もはや男の訪れは期待できない状況を言っています。
訓読 >>> 朱(あか)らひく膚(はだ)に触れずて寝たれども心を異(け)しく我が念(も)はなくに 要旨 >>> 今夜はお前の美しい肌にも触れずに一人寝したが、それでも決してお前以外の人を思っているわけではないからね。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「朱らひく」は、赤い血潮がたぎる意で、血行がよく健康な肌のこと。「心を異しく」は、心が変わって。 男の歌として解しましたが、どちらの歌かは不明です。男の歌だとすると、同宿したにもかかわらず相手の女の肌に触れなかったことを弁解しており、女の歌だとすると、何らかの事情で男に断って言った形のものです。いずれの場合も理由ははっきりしませんが、あるいはこの時代、女性は神事に奉仕する場合が多く、その期間は男女関係を断つことになっていたといいます。 『柿本人麻呂歌集』について 『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ
訓読 >>> 3890 我(わ)が背子(せこ)を我(あ)が松原(まつばら)よ見わたせば海人娘子(あまをとめ)ども玉藻(たまも)刈る見ゆ 3891 荒津(あらつ)の海(うみ)潮(しほ)干(ひ)潮(しほ)満(み)ち時はあれどいづれの時か我(わ)が恋ひざらむ 3892 礒(いそ)ごとに海人(あま)の釣舟(つりふね)泊(は)てにけり我(わ)が船(ふね)泊(は)てむ礒(いそ)の知らなく 3893 昨日(きのふ)こそ船出(ふなで)はせしか鯨魚取(いさなと)り比治奇(ひぢき)の灘(なだ)を今日(けふ)見つるかも 3894 淡路島(あはぢしま)門(と)渡(わた)る船の楫間(かぢま)にも我(わ)れは忘れず家をしぞ思ふ 要旨 >>> 〈3890〉あなたが私を待つという名の、その松原から見わたすと、海人娘子たちが玉藻を刈っているのが見える。 〈3891〉荒津の海では、引き潮、満ち潮それぞれに決まった時があるけれ
訓読 >>> 3491 柳(やなぎ)こそ伐(き)れば生(は)えすれ世の人の恋に死なむをいかにせよとぞ 3492 小山田(をやまだ)の池の堤(つつみ)にさす柳(やなぎ)成りも成らずも汝(な)と二人はも 3493 遅速(おそはや)も汝(な)をこそ待ため向(むか)つ峰(を)の椎(しひ)の小枝(こやで)の逢ひは違(たが)はじ 要旨 >>> 〈3491〉柳は伐れば代わりが生えてもこよう。が、生身のこの世の人が恋い焦がれて死にそうなのに、どうしろというのか。 〈3492〉山あいの田の池の堤に挿し木した柳は、根づくのもあればつかないものもある。そのように、私の恋が成就しようがしまいが問題ではない。お前との仲はいつまでも変わらない。 〈3493〉遅かろうと早かろうとあなたを待ちましょう。向かいの峰の椎の小枝が重なり合っているように、逢えるのは間違いないだろうから。 鑑賞 >>> 3492の「小山田」の「小
訓読 >>> 194 飛ぶ鳥の 明日香(あすか)の川の 上(かみ)つ瀬に 生(お)ふる玉藻(たまも)は 下(しも)つ瀬に 流れ触(ふ)らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡(なび)かひし 夫(つま)の命(みこと)の たたなづく 柔肌(にきはだ)すらを 剣大刀(つるぎたち) 身に添(そ)へ寐(ね)ねば ぬばたまの 夜床(よとこ)も荒(あ)るらむ〈一に云ふ、荒れなむ〉 そこ故(ゆゑ)に 慰(なぐさ)めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて〈一に云ふ、君も逢ふやと〉 玉垂(たまだれ)の 越智(をち)の大野の 朝露(あさつゆ)に 玉裳はひづち 夕霧(ゆふぎり)に 衣(ころも)は濡(ぬ)れて 草枕 旅寝(たびね)かもする 逢はぬ君ゆゑ 195 敷栲(しきたへ)の袖(そで)交(か)へし君(きみ)玉垂(たまだれ)の越智野(をちの)過ぎ行くまたも逢はめやも [一云 越智野に過ぎぬ] 要旨 >>> 〈194〉明日
訓読 >>> 若草の新手枕(にひたまくら)をまきそめて夜(よ)をや隔てむ憎くあらなくに 要旨 >>> 新妻の手枕をまき始めて、これから幾夜も逢わずにいられようか、可愛くて仕方ないのに。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「若草の」は「新手枕」の枕詞。なお、結句の「憎くあらなくに」の原文は「二八十一不在國」と書かれており、「二八十一」の「八十一」を、九九=八十一であることから「くく」と読ませています。それで「に・くく」。まるでとんちクイズのようですが、このように本来の意味とは異なる意味の漢字をあてて読ませることを「戯書(ぎしょ)」といいます。また、この時代から掛け算の九九があったことにも驚かされますが、すでに奈良時代以前に中国から伝わっていたといいます。そして、平安時代には貴族の教養の一つとされていたようです。九九を練習した跡が残る木簡が各地で出土しており、中には「八
訓読 >>> 夜(よ)のほどろ我(わ)が出(い)でて来れば我妹子(わぎもこ)が思へりしくし面影(おもかげ)に見ゆ 要旨 >>> 夜がほのぼのと明けるころ、別れて私が出てくるとき、名残惜しそうにしていたあなたの姿が面影に見えてなりません。 鑑賞 >>> 若かりし大伴家持が、のちに正妻となる坂上大嬢に贈った歌。「夜のほどろ」の「ほどろ」は、ほどく・ほとばしるの「ほと」と同根で、緊密な状態が散じて緩むことを表す語。『万葉集』では雪が完全に解けていない状態を表現していますが、ここでは、夜がほのぼのと明けるころ。「思へりしく」は「思へりし」に「く」を添えて名詞形にしたもの。次の「し」は強意。「面影」は、目に浮かぶ人の姿。見ようと思って見るものではなく、向こうから勝手にやってきて仕方がないもの。
訓読 >>> 3240 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木(まき)積む 泉(いずみ)の川の 早き瀬を 棹(さを)さし渡り ちはやぶる 宇治(うぢ)の渡りの 激(たき)つ瀬を 見つつ渡りて 近江道(あふみぢ)の 逢坂山(あふさかやま)に 手向(たむ)けして 我(わ)が越え行けば 楽浪(ささなみ)の 志賀(しが)の唐崎(からさき) 幸(さき)くあらば またかへり見む 道の隈(くま) 八十隈(やそくま)ごとに 嘆きつつ 我(わ)が過ぎ行けば いや遠(とほ)に 里(さと)離(さか)り来(き)ぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 剣大刀(つるぎたち) 鞘(さや)ゆ抜き出(い)でて 伊香胡山(いかごやま) いかにか我(あ)がせむ 行くへ知らずて 3241 天地(あめつち)を憂(うれ)へ祈(こ)ひ祷(の)み幸(さき)くあらばまたかへり見む志賀の唐崎 要旨 >>
訓読 >>> うち靡(なび)く春(はる)来(きた)るらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば 要旨 >>> どうやら春がやってきたらしい。遠い山際の木々の梢に次々と花が咲いていくのを見みると。 鑑賞 >>> 尾張連(おわりのむらじ)の歌。尾張連の「連」は姓(かばね)で「名は欠けている」とあり未詳。万葉集には2首残しています。尾張氏は『日本書紀』によると、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし、古来、后妃・皇子妃を多く出したと伝えられる氏族です。 「うち靡く」は、春の草木がやわらかく靡く意で、「春」の枕詞。「山の際」は、山と山の合間、山の稜線。「遠き木末」は、奥まったほうの樹木の梢。前の歌と同じく花の名前は言っていませんが、こちらも桜とみられます。『万葉集』では、このように桜の花の花名を略して詠まれている歌が少なくありません。斎藤茂吉はこの歌を評し、ゆったりとした迫らない響
訓読 >>> 春山の咲きのをゐりに春菜(はるな)摘(つ)む妹(いも)が白紐(しらひも)見らくしよしも 要旨 >>> 春の山の花が咲き乱れているあたりで菜を摘んでいる子、その子のくっきりした白い紐を見るのはいいものだ。 鑑賞 >>> 尾張連(おわりのむらじ)の歌。尾張連の「連」は姓(かばね)で「名は欠けている」とあり未詳。万葉集には2首残しています。尾張氏は『日本書紀』によると、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし、古来、后妃・皇子妃を多く出したと伝えられる氏族です。 「をゐり」は「ををり」とも。花が多く咲いて枝がたわむさま。咲いているのは桜とみられます。但し、賀茂真淵は「岬(さき)の撓(たを)り」と訓み、春山の崎の撓(たわ)んだ所で、と解釈しています。「春菜」は、春の野に生える食用の雑草。「わかな」と訓む本もあります。「白紐」は、衣の上着に結んでいる紐。「見らくしよしも」の「見らく
訓読 >>> 春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ 要旨 >>> 春柳をかずらにする葛城山に湧き立つ雲のように、立っても座っても妻のことが思われてならない。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。「春柳」は「葛城山」の枕詞。「葛城山」は、大和・河内国境の連山。上3句が「立ち」を導く序詞。訳文中の「かずらにする」とは、柳で輪を作って髪飾りにすること。この歌の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、『万葉集』の中で、わずか10文字という最少の字数で表されています。まるで漢詩のようです。
訓読 >>> 桜花(さくらばな)咲きかも散ると見るまでに誰(た)れかも此所(ここ)に見えて散り行く 要旨 >>> まるで桜の花が咲いてすぐに散っていくように、誰も彼も、現れたかと思うとすぐまた散り散りになっていく。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。「咲きかも」「誰れかも」の「かも」は疑問の係助詞。旅先の往来に現れては消えていく人の中に妻の幻影を見ている歌、あるいは旅先での出会いと別れを歌ったもので、若い人麻呂の歌だろうとされます。この歌は、のちに蝉丸の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」(『後撰集』)に引き継がれています。
訓読 >>> 4070 一本(ひともと)のなでしこ植ゑしその心(こころ)誰(た)れに見せむと思ひそめけむ 4071 しなざかる越(こし)の君らとかくしこそ柳(やなぎ)かづらき楽しく遊ばめ 4072 ぬばたまの夜(よ)渡る月を幾夜(いくよ)経(ふ)と数(よ)みつつ妹(いも)は我(わ)れ待つらむぞ 要旨 >>> 〈4070〉一株のなでしこを庭に植えたその心は、いったい誰に見せようと思いついてのことだったのでしょう。 〈4071〉都から遠く離れた越の国のあなたがたと、これからもこのように柳を縵(かずら)にして遊ぼうではありませんか。 〈4072〉夜空を渡っていく月を眺めながら、もう幾夜を経たかと数えながら、妻は私を待っていることだろう。 鑑賞 >>> 越中国で、前任の国師(こくし)の従僧(じゅうそう)清見(せいけん)が上京するに際し、送別の酒宴を設けた時に大伴家持が詠んだ歌。「国師」は、中央から
訓読 >>> いにしへの古き堤(つつみ)は年深み池の渚(なぎさ)に水草(みくさ)生(お)ひにけり 要旨 >>> 昔栄えた邸の庭の古い堤は、長い年月を重ね、池のみぎわには水草が生い繁っている。 鑑賞 >>> 題詞に「故(すぎにし)太政大臣藤原家の山池(しま)を詠む」歌とあり、藤原不比等が没した10年以上の後に山部赤人が詠んだ鎮魂歌です。何かの行事に際しての訪問だったと見られます。不比等が薨じた時(720年)は正二位右大臣でしたが、薨後に正一位太政大臣を賜りました。「藤原家」とあるのは諱(いみな)を書くのを憚った言い方で、尊称です。「山池」は、築山や池のある庭園のこと。 赤人は往時の不比等を目にしていた、あるいは不比等の生前にこの邸を訪れたことがあったらしく、その旧居の庭園の荒廃ぶりを見て、時の移ろいの悲しみを強く感じ、それを具象的に表さずにはいられなくなったのでしょう。しかしながら、直接的に
訓読 >>> 御食(みけ)向(むか)ふ南淵山(みなぶちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる 要旨 >>> 南淵山の山肌の巌には、はらはらと降った淡雪がまだ消えずに残っている。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から、「弓削皇子に献上した歌」とある歌。弓削皇子は、天武天皇の第9皇子。「御食向ふ」は「南淵山」の枕詞。「南淵山」は、明日香村稲淵の山。「はだれ」は、薄く降る雪。この歌には何某かの寓意があるのではと指摘されますが、斎藤茂吉は「学者等の一つの迷いである」として、「叙景歌として、しっとりと落ち着いて、重厚にして単純、清厳ともいうべき味わい」と言っており、国文学者の池田彌三郎は、「春先の雪を歌っているのだから、この歌は初春の言寿(ことほぎ)の歌で、それを弓削皇子に献上したのだ」と言っています。南淵山と皇子との関係は不明。
訓読 >>> 世の常(つね)に聞けば苦しき呼子鳥(よぶこどり)声なつかしき時にはなりぬ 要旨 >>> ふだんは切なく苦しく聞こえる呼子鳥の、その鳴き声もなつかしく聞かれる春になってきた。 鑑賞 >>> 大伴坂上郎女の歌。「呼子鳥」は、カッコウとされます。左注に3月1日(新暦の4月上旬)とあります。斎藤茂吉はこの歌を評し、奇もなく鋭いところもないが、季節の変化に対する感じも出ており、春の女心に触れることもできるようなところがある、「時にはなりぬ」だけで詠嘆がこもっている、と言っています。
訓読 >>> 43 我(わ)が背子(せこ)はいづく行くらむ沖つ藻(も)の名張(なばり)の山を今日(けふ)か越ゆらむ 44 我妹子(わぎもこ)をいざ見(み)の山を高みかも大和(やまと)の見えぬ国遠みかも 要旨 >>> 〈43〉今ごろ夫はどのあたりを旅しているのだろう。名張の山を今日にでも越えているのだろうか。 〈44〉妻を「いざ見よう」という名のいざみ山が高いせいか、妻のいる大和が見えない。それとも国を遠く隔てて来たせいだろうか。 鑑賞 >>> 43は、持統天皇6年(692年)3月の伊勢行幸の折、従駕した当麻真人麻呂(たぎまのまひとまろ)の妻が、旅路にある夫を案じて作った歌。44は、同じく従駕した石上大臣(いそのかみのだいじん)の歌。当麻真人麻呂は、その妻とも伝未詳。石上大臣は、慶雲元年(704年)に右大臣、和銅元年(708年)に左大臣となった石上朝臣麻呂。 43の「沖つ藻の」は「名張」の枕
訓読 >>> 筑波嶺(つくはね)のさ百合(ゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹(いも)ぞ昼も愛(かな)しけ 要旨 >>> 筑波の嶺に咲くさ百合の花ではないが、夜床(ゆとこ)で可愛くてならない彼女は、昼間でも可愛くてならない。 鑑賞 >>> 常陸国の防人の歌。「筑波嶺」は、茨城県西部の筑波山。上2句は「夜床」を導く序詞。「さ百合(ゆる)」の「さ」は美称、「ゆる」は「ゆり」の方言で山百合の花。「夜床(ゆとこ)」は「よとこ」の方言。「愛しけ」は「愛しき」の方言。妹の可愛さを称えるのに終始しており、斎藤茂吉はこの歌を「言い方が如何にも素朴直截で愛誦するに堪うべきもの」と評しています。
訓読 >>> 3887 天(あめ)にあるやささらの小野(をの)に茅草(ちがや)刈り草(かや)刈りばかに鶉(うづら)を立つも 3888 沖つ国うしはく君の塗(ぬ)り屋形(やかた)丹塗(にぬ)りの屋形(やかた)神の門(と)渡る 3889 人魂(ひとだま)のさ青(を)なる君がただひとり逢へりし雨夜(あまよ)の葉非左し思ほゆ 要旨 >>> 〈3887〉天界のささらの小野で茅草を刈っていたら、私の草刈り場の草陰から、だしぬけにウズラが飛び立った。 〈3888〉沖の果ての冥界をお治めになる大君の、丹塗りの屋形丹、その丹塗りの屋形丹が、神霊のとどまる狭い所をお渡りになる。 〈3889〉人魂である真っ青な顔の君が、ただ一人さまよっている。その君に私が出くわした雨の夜の葉非左を思うと、ぞっとする。 鑑賞 >>> 「怖ろしき物の歌」3首。3887の「天にあるやささらの小野」は、天上霊異の世界にある、ささら小野
訓読 >>> かの子ろと寝(ね)ずやなりなむはだすすき宇良野(うらの)の山に月(つく)片寄るも 要旨 >>> 今夜はあの子と共寝することなく終わりそうだ。はだすすきの繁る宇良野の山に月が傾いてきた。 鑑賞 >>> 「はだすすき」は穂を出した薄で、「宇良野」の枕詞。「宇良野」は、長野県上田市浦野か。「月(つく)」は月の東語。女の許に向かっている男が、月が傾いたのを見て、行き着いたら夜明けになるのではないかと焦っている歌です。万葉の恋人たちはどんなにお熱い中でも、会えるのはひと月に十日くらいがせいぜいだったといいます。その理由はすべて月にあり、三日月の頃から通い、闇夜では会うことができなかったのです。
訓読 >>> 723 常世(とこよ)にと 我(わ)が行かなくに 小金門(をかなと)に もの悲(がな)しらに 思へりし 我(あ)が子の刀自(とじ)を ぬばたまの 夜昼(よるひる)といはず 思ふにし 我(あ)が身は痩せ(や)せぬ 嘆くにし 袖(そで)さへ濡(ぬ)れぬ かくばかり もとなし恋ひば 故郷(ふるさと)に この月ごろも ありかつましじ 724 朝髪(あさかみ)の思ひ乱れてかくばかりなねが恋ふれそ夢(いめ)に見えける 要旨 >>> 〈723〉あの世に私が行ってしまうわけでもないのに、門口で悲しそうにしていた我が子よ。留守中に私に代わってつとめる刀自(主婦)のことを思うと、夜も昼も心配で私はやせてしまった。嘆くあまりに着物の袖は涙で濡れてしまった。これほど気がかりでやたらに恋しくては、ここ故郷の跡見の庄には、そう何か月もいられないだろう。 〈724〉寝起きの髪のように思い乱れて、おねえちゃ
訓読 >>> うつつにか妹(いも)が来ませる夢(いめ)にかも我(わ)れか惑(まど)へる恋の繁(しげ)きに 要旨 >>> 実際に彼女がやってきたのか、それとも夢なのか、あるいは私が取り乱しているのか、恋の激しさのために。 鑑賞 >>> 作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「うつつ」は、現実。この歌について作家の大嶽洋子は、「後世の伊勢物語の下地ではないかと思われるような物語性のある歌である。妹に対して『来ませる』などと敬語を使っているところは、伊勢物語第69段の斎宮と昔男との月夜の出来事を思わせる。夢に私が迷ったのか、それとも現実に恋人がやって来たのだろうかと複雑な現実と夢の世界の織りなす幻覚を詠っている。迷う男にとってどちらも真実の世界なのだろう」と述べています。
訓読 >>> 3937 草枕(くさまくら)旅(たび)去(い)にし君が帰り来(こ)む月日を知らむすべの知らなく 3938 かくのみや我(あ)が恋ひ居(を)らむぬばたまの夜(よる)の紐(ひも)だに解(と)き放(さ)けずして 3939 里近く君が業(な)りなば恋ひめやともとな思ひし我(あ)れぞ悔(くや)しき 3940 万代(よろづよ)に心は解けて我が背子(せこ)が捻(つ)みし手見つつ忍(しの)びかねつも 3941 うぐひすの鳴くくら谷にうちはめて焼けは死ぬとも君をし待たむ 3942 松の花(はな)花数(はなかず)にしも我(わ)が背子(せこ)が思へらなくにもとな咲きつつ 要旨 >>> 〈3937〉(越中に)旅立ってしまったあなたが、いつ帰って来られるのか、その月日を知る手がかりさえも分からなくて。 〈3938〉このようにばかり、いつまでも恋い焦がれているのでしょうか。夜の衣の紐も解き放たずに。 〈
訓読 >>> 3931 君により我が名はすでに龍田山(たつたやま)絶えたる恋の繁(しげ)きころかも 3932 須磨人(すまひと)の海辺(うみへ)常(つね)去らず焼く塩の辛(から)き恋をも我(あ)れはするかも 3933 ありさりて後(のち)も逢(あ)はむと思へこそ露(つゆ)の命(いのち)も継(つ)ぎつつ渡れ 3934 なかなかに死なば安(やす)けむ君が目を見ず久(ひさ)ならばすべなかるべし 3935 隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)ゆ恋ひあまり白波(しらなみ)のいちしろく出でぬ人の知るべく 3936 草枕(くさまくら)旅にしばしばかくのみや君を遣(や)りつつ我(あ)が恋ひ居(を)らむ 要旨 >>> 〈3931〉あなたとの浮き名はすでに立ってしまいました。絶えてしまった恋への思いが近ごろしきりにつのります。 〈3932〉須磨の海人がいつも海岸で焼く塩のような、そんな辛い恋を私はしています。 〈
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