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渡部直己「日本小説技術史」書評 異次元的な体験 作品の核心つく|好書好日
小説から「技術」を抜き去ったら、どれほどのものが残るというのだろう−。滝沢馬琴、夏目漱石から樋口一... 小説から「技術」を抜き去ったら、どれほどのものが残るというのだろう−。滝沢馬琴、夏目漱石から樋口一葉、尾崎翠まで、小説家が「人情」や「出来事」を描き出す瞬間に生じる「言葉… 日本小説技術史 [著]渡部直己 坪内逍遥『小説神髄』から横光利一『純粋小説論』まで、半世紀にわたる文学作品を「技術」というテーマで語り抜く。つまり本書は、これまで“何が語られてきたか”のみを扱ってきた近代文学史に対し、“どう語られてきたか”を徹底して読みとる。「技術以外の何が小説にあるのか?」と、冒頭から我々を挑発しながら。 まず著者は、逍遥がその前近代性を批判した曲亭馬琴の小説制作術「稗史(はいし)七則」のうちの「偸聞(たちきき)」から話を始める。歌舞伎や黄表紙、いやそれどころか逍遥自身の小説にさえ「偸聞」は横溢(おういつ)する。我々も時代劇などで観た「話は全部、そのフスマの陰で聞かせてもらった」というパターンだ。
2012/11/27 リンク