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失われる習慣 共飲・共喫儀礼によって人類が確かめてきたもの|社会|中央公論.jp
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失われる習慣 共飲・共喫儀礼によって人類が確かめてきたもの|社会|中央公論.jp
小津映画の重役たち 小津安二郎の映画を見ると、丸の内の重役たちは昼食の時に当然のようにビールを飲む... 小津映画の重役たち 小津安二郎の映画を見ると、丸の内の重役たちは昼食の時に当然のようにビールを飲む。「もう一本いかがですか?」という女将の誘いに「いや、まだこれからお勤めがあるから」と断っていたから、彼らは微醺を帯びて午後の「お勤め」をしていたわけである。 確かに映画を見ている限り、重役たちははんこを捺すことと同僚や友人と雑談する以外にあまり仕事らしい仕事はしていないから、生酔いでも差し支えなかったのだろう。今なら「就業規則違反」で懲戒だろう。 かつてあった「献酬」という習慣もなくなった。「お流れを頂戴」というあれだけれど、若い人はそう書いても意味がわかるまい。やはり小津の『麦秋』の一場面では、料亭の 一室で、上司(佐野周二)が部下(原節子)に「まあ、一つ」と言って自分の盃を差し出す場面がある。これなどは今の女性には最悪の「セクハラ」「パワハラ」案件にしか見えないだろう。 煙草もそうである