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ことばと自由とリアリティ 『現代詩手帖』バロウズ特集収録 (1990年) 山形浩生 要約: バロウズは、カッ... ことばと自由とリアリティ 『現代詩手帖』バロウズ特集収録 (1990年) 山形浩生 要約: バロウズは、カットアップを通じて作る側の自由を追求していたが、結果として読者に不自由を強いるものとなってしまっている。 一、 「ウィリアム・バロウズの何たるかについて説明がいるようなら、あなたは読む雑誌をまちがえている」 ――Semiotext(e) 14(1989) ウィリアム・バロウズが好きか、といえば、多少なりとも目はしがきいて、大文字の体制とか権力とかには一応斜にかまえてみせているような人間は誰でも「うん」と答えるだろう。ふつうなら、なぜ好きなのかをきくのは間抜けなことだ。人は別に、理詰めでものが好きになるわけじゃない。はじめに「好き」が来て、理由は後づけでくる。しかし、ときどき、自分にだけは「なぜ?」ときいておいたほうがいいこともある。その対象の何かが、一種の符丁として流通しているときだ。
2022/05/12 リンク