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虐殺とタブー視、それは「遠い過去」なのか ――韓国・済州島の記憶 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
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虐殺とタブー視、それは「遠い過去」なのか ――韓国・済州島の記憶 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
台風が過ぎ去ったばかりの済州国際空港には、湿った海風が絶えず吹きつけ、時折霧のような小雨が視界を... 台風が過ぎ去ったばかりの済州国際空港には、湿った海風が絶えず吹きつけ、時折霧のような小雨が視界を覆った。ここに降り立つ前、飛行機の窓から見下ろした済州は、濃い緑に覆われた漢拏山(ハルラ山)を中心に広がる、紺碧の海に浮かんだ麗しい島だった。 「済州は美しいところではありますが、そうした美しいところは何らかの虐殺が起きた場所でもありました」 そう語るのは、大阪で生まれ、済州で育った玄武岩(ヒョン・ムアン)さんだ。現在は北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院の教授を務めている。 リゾート地としても知られる済州島だが、玄さんが語る通り、ここは過酷な歴史を経てきた地でもある。 「以前は虐殺が起きた現場に案内板などもほとんどなく、最近になってようやく法律も整備され、平和ツアーなどの動きも広がってきました」 済州島で起きた虐殺は、一部島民が武装蜂起した1948年4月3日の日付から「4・3事件