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横尾忠則「遊びの究極はそれ自体が目的 如何にデタラメを生きるかだ」 | AERA dot. (アエラドット)
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横尾忠則「遊びの究極はそれ自体が目的 如何にデタラメを生きるかだ」 | AERA dot. (アエラドット)
芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、芸術と実生活に... 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、芸術と実生活について。 * * * 身体のあちこちが破壊されて悲鳴をあげている。ほぼ感覚は全滅、脳は営業停止状態。商売道具の五感も機能停止。 ぼんやり本棚を眺めていると、20年以上も前に買った平野謙「芸術と実生活」が目に留まった。頁を開くが読んだ形跡は全くない。7人の作家の作品を採り上げているが、どの作家のどの小説も読んでいない。 芸術と実生活で思い出すのはヘルマン・ヘッセの生活である。庭仕事と水彩画を描く。両方共プロ級の腕前だ。美術家のマルセル・デュシャンは、チェスを生活に持ち込み、何も浮かばない時は無為の生活に浸るという。では僕の生活は? と聞かれると、病院かな。一寸でも身体に異変を感じると飛んで行くのは病院だ。2年に一度くらい入院もする。入院は退屈なので、病室をアトリエに変えてしまって、制作三昧。絵