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球場物語 長嶋茂雄氏の父が観戦した最初で最後の試合 | AERA dot. (アエラドット)
読売巨人軍の名誉監督である長嶋茂雄氏には現役時代、数々の名勝負があるが、高校時代には埼玉県営大宮... 読売巨人軍の名誉監督である長嶋茂雄氏には現役時代、数々の名勝負があるが、高校時代には埼玉県営大宮球場でこんな“一発”を放っていた。 * * * 埼玉県営大宮球場のバックスクリーンへ飛び込んだ一発から、長嶋茂雄(77)はスター街道を駆けていった。佐倉一高(千葉、現・佐倉高)時代、公式戦唯一の本塁打である。 1953年8月1日。千葉県と埼玉県それぞれの4強が集まり、計8校で夏の甲子園出場一校を決める南関東大会の1回戦だった。相手の熊谷(埼玉)はその2年前、夏の甲子園で準優勝という名門だ。エースは2年生の福島郁夫。右の速球派で、のちにプロの東映(現日本ハム)に進む。福島が当時を振り返る。 「前日の練習を視察に行ったOBが、『4番の長嶋だけは気をつけろ』と教えてくれたんです。絶対に抑えてやる、と思いましたね」 二飛、左前安打ときて、6回の第3打席。佐倉一は0-3で負けていた。カウント1-1から
2013/06/24 リンク