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羽柴軍と徳川軍が激突"長久手の戦い"!猛将も散った「長久手古戦場」へ
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羽柴軍と徳川軍が激突"長久手の戦い"!猛将も散った「長久手古戦場」へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 い... こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、羽柴軍と徳川軍が激突"長久手の戦い"!猛将も散った「長久手古戦場」へ…です。 ■家康を辿る物語 羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦い。 家康不在の三河を攻めるというに奇襲策に出た羽柴軍でしたが、徳川軍は忍びの情報でこれを察知しました。 徳川軍は密かに小牧山を出ると、後方を進む羽柴秀次軍を急襲してこれを壊滅。さらに堀秀政軍を圧迫して、前方の池田・森軍と分断することに成功しました。 ここでようやく徳川軍出現の報を得た池田恒興と森長可。三河に向かう途上で占拠した岩崎城から兵をまとめ引き返します。 そして、天正12年(1584年)4月9日、長久手の地で、徳川軍と池田・森軍が激突します。 兵数はほぼ互角、 一進一退の