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こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、一触即発!家康対秀吉「小幡城」「龍泉寺城」!小牧・長久手の結末は?です。 ■家康を辿る物語 羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦い。 長久手の戦いで、池田恒興と森長可を討ち取るなど勝利をおさめた家康。しかし深追いすることなく、小幡城に引きあげました。 一方、秀吉は敗報を聞き、すぐに出陣して長久手を目指しますが、本多忠勝に行軍を妨害され、戦場近くの龍泉寺城に入ります。 龍泉寺城は小幡城とは約3㎞の距離…。秀吉は翌朝に攻撃することを決めますが、夜のうちに家康は小幡城を出て小牧山城に帰還しました。 戦いは再び膠着状態に戻ります。ここでの戦況打開は難しいと判断した秀吉は、矛先を織田信雄に向けます。 その本拠・伊勢長島
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、羽柴軍と徳川軍が激突"長久手の戦い"!猛将も散った「長久手古戦場」へ…です。 ■家康を辿る物語 羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦い。 家康不在の三河を攻めるというに奇襲策に出た羽柴軍でしたが、徳川軍は忍びの情報でこれを察知しました。 徳川軍は密かに小牧山を出ると、後方を進む羽柴秀次軍を急襲してこれを壊滅。さらに堀秀政軍を圧迫して、前方の池田・森軍と分断することに成功しました。 ここでようやく徳川軍出現の報を得た池田恒興と森長可。三河に向かう途上で占拠した岩崎城から兵をまとめ引き返します。 そして、天正12年(1584年)4月9日、長久手の地で、徳川軍と池田・森軍が激突します。 兵数はほぼ互角、 一進一退の
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、長久手合戦を左右した家康の動きとは?家康本陣跡「色金山」と「御旗山」です。 ■家康を辿る物語 羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦い。 膠着する戦況を打破するために、秀吉軍が家康不在の三河を奇襲する策に出ます。その編成は、第一隊・池田恒興、第二隊・森長可、第三隊・堀秀政、第四隊・羽柴秀次、総勢2万…。 天正12年(1584年)4月6日夜に密かに出陣した秀吉軍でしたが、その動きは忍びからの情報で家康軍の知るところとなりました。 家康軍は4月8日夜に小牧山を出陣。翌9日の明け方、水野忠重や榊原康政率いる別動隊が、羽柴秀次軍の背後から襲いかかります。 思わぬ奇襲によって秀次勢は四散、潰滅的打撃を被ります。秀次は自身
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「岩崎城」!池田軍の奇襲"三河中入り"、戦いの帰趨を握った岩崎城の動きとは?です。 ■家康を辿る物語 羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦い。 家康は小牧山城に、秀吉は楽田城に本陣を置き、両者は睨み合いを続けたまま動かず動けず、戦況は膠着状態に陥ります。 こうした膠着状態を打開すべく、池田恒興は森長可とともに、家康が留守にする三河に奇襲をかけることを秀吉に献策。秀吉の許可を得て進軍を開始しました(三河中入り)。 池田軍は、三河に向かう途上で徳川方の岩崎城を攻撃。これを攻め落とすと、この地で休息をとります。 しかし、その頃すでに徳川軍は、池田軍のすぐ近くまで軍を進めていました。 実はこのとき家康は
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「楽田城」!秀吉、楽田城に入る…小牧山を包囲する砦群です。 ■家康を辿る物語 羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦い。 要所である小牧山の占拠に成功した家康は、秀吉の来襲に備え、土塁や空堀などを施し強固な陣地を築きました。 一方の秀吉は、兵3万を率いて大坂城を出立、池田恒興のいる犬山城に入ります。 さらに小牧山に近い尾張楽田に出て、この地にある楽田城を陣所としました。 家康と秀吉はそれぞれ本陣の周囲に砦や土塁を築いたため、双方ともに容易に手が出せなくなります。 小牧山城と楽田城は睨み合いを続けるばかり。挑発や小競り合いを除けば、戦況は膠着状態に陥りました。 (小牧周辺における両軍の布陣(小牧山)
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「小牧山城」!決戦迫る…家康が本陣を敷いた信長ゆかりの堅城です。 ■家康を辿る物語 羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦い。 秀吉方に寝返った池田恒興が、信雄方の犬山城に攻め込みこれを占拠します。 これを受けて、恒興とともに秀吉方に寝返った森長可は、要所の小牧山を占拠すべく兵を進めます。 しかし、それより先に小牧山には徳川軍が向かっていました。家康家臣の榊原康政がその重要性を指摘し本陣とするように進言していたからです。 徳川軍は小牧山にいち早く入ると、近くの羽黒に陣を敷いていた森軍に奇襲を仕掛けます。 勇将として知られる森長可は、一時はこれを押し返しますが、逆に深追いしすぎて徳川軍に背後をとられ
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「犬山城」!小牧・長久手の火ぶた…池田恒興寝返りの急襲"犬山城の戦い"です。 ■家康を辿る物語 本能寺の変ののち、明智光秀や柴田勝家との戦いに勝利し、実質的に織田家臣団の筆頭となった羽柴秀吉。 秀吉はさらに、主君・織田信雄(信長次男)をないがしろにする態度に出ると、両者の関係が悪化します。 信勝は、父信長の盟友であった徳川家康と同盟を結び、秀吉との対決姿勢を強めます。 一方、秀吉は信雄家臣の三家老を懐柔し取り込もうとしますが、信雄がその三家老を呼び出し殺害。これに激怒した秀吉は、信雄に対して出兵を決断しました。 家康は、秀吉との合戦に備えて、信雄のいる清州城に入城します。 すると間もなく、織田氏譜代の家臣で信雄に与す
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、信長の後を継ぐのは誰か?柴田勝家と羽柴秀吉、最終決戦「北ノ庄城」です。 ■家康を辿る物語 絶対的な主君・織田信長の死により、織田家臣団は分裂を余儀なくされます。 特に激しく対立したのは、家臣団筆頭格の柴田勝家と新進気鋭の羽柴秀吉でした。 天正11年(1583年)ついに両者は激突。賤ケ岳砦をめぐり激しい戦闘が繰り広げられます。 一進一退の攻防が続いた戦は、賤ケ岳七本槍と呼ばれる秀吉麾下の武将の活躍や勝家側にいた前田利家の戦線離脱により、勝家が敗走。秀吉の勝利となりました。 勝家は越前・北ノ庄城に逃れますが、敗軍の将に従う兵は3千ほどに過ぎませんでした。 秀吉は、自軍に降った前田利家を先鋒として北ノ庄城を攻撃。死を覚悟した勝家は、近臣
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、徳川対北条"天正壬午の乱"甲斐の覇権の行方は?北条軍の本陣跡「若神子城」です。 ■家康を辿る物語 天正10年(1582年)に勃発した「天正壬午の乱」(てんしょうじんごのらん)。 信長の死により空白地と化した旧武田領をめぐって、徳川軍と北条軍が激しく対峙しました。 徳川家康は、武田遺臣を積極的に自軍に取り込み、甲斐の併呑をうかがいます。 そして大久保忠世ら重臣を甲斐に派遣すると、かつて武田勝頼が一時本拠とした新府城に本陣を置きました。 一方の北条氏政・氏直父子は、織田配下の滝川一益を上野国から追い払うと、さらに甲斐に侵攻。 徳川軍が布陣した新府城に対抗して、そこから9㎞ほど北に位置する若神子城に本陣を置き、周辺に城砦を築きました。
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、甲斐をめぐり家康動く!武田勝頼の夢のあと「新府城」武田流築城術も…です。 ■家康を辿る物語 本能寺にて信長死す…。その報は、東方の旧武田領国に新たな戦雲を巻き起こしました。 このとき甲斐・信濃・上野といった旧武田領には、信長配下の滝川一益や川尻秀隆らが入っていました。 滝川一益の治めていた上野国には、信長の死に乗じて、北条氏政・氏直父子率いる大軍が攻め寄せます。 一益はこれを迎え撃ちますが、勢いある北条軍を止めることはできずに敗走、美濃に撤退しました。 一方、川尻秀隆が領していた甲斐・信濃諏訪では、武田遺臣による一揆が起こり、秀隆は討ち取られました。 このとき甲斐併呑を意図して武田遺臣への工作を進めていたのが徳川家康…。この一件も
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、明智光秀敗走す!山崎の戦い本陣跡そして光秀最期の城「勝龍寺城」です。 ■家康を辿る物語 明智光秀と羽柴秀吉が激突した"天下分け目の天王山"「山崎の戦い」。 天正10年(1582年)6月13日午後4時ごろ、戦いの火ぶたが切って落とされます。 はじめは一進一退の攻防が続きますが、秀吉軍の池田恒興・元助らが密かに円明寺川を渡河して、光秀軍の津田信春の部隊を奇襲。 津田軍が潰走すると、同じく秀吉方の丹羽長秀らが光秀本軍に攻撃を仕掛けます。 この攻撃により光秀軍は総崩れ。天下分け目の決戦は、日暮れた後に終わりました。 敗れた明智光秀は勝龍寺城に撤退。このとき1万6千いた兵は、脱走離散などにより700ほどになっていたといいます。 光秀は夜が更
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、秀吉と光秀の天下分け目の天王山"山崎の戦い"!秀吉の本陣跡「山崎城」へ…です。 ■家康を辿る物語 明智光秀が本能寺で主君・織田信長を討ち果たしたころ…。 織田家の有力武将は、敵対する武将との合戦のため畿内から遠く離れていました。 彼らはすぐには動けまい…光秀はそう見て、その間に畿内を制圧するつもりでいました。 しかし光秀の意に反して、とんでもない速さで畿内に戻ってきた武将がいます。羽柴秀吉でした。 秀吉は中国で毛利と交戦していましたが、変報を聞くと急いで毛利と和睦。 兵をまとめると畿内に取って返しました。世に言う「中国大返し」。3万人もの大軍がわずか1週間足らずで200㎞移動しました。 秀吉軍は京に入ると、天王山の麓・山崎に着陣。
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「小川城」!家康決死の"伊賀越え"を援けた甲賀信楽の山城です。 ■家康を辿る物語 天正10年(2582年)6月2日、驚天動地の事件が発生します。 本能寺の変…。織田信長が、家臣の明智光秀により討ち取られたのです。 このとき徳川家康は、信長の招きで安土城で歓待を受けた後、大阪堺の町を遊覧中でした。 供回りはわずかな人数…。狼狽した家康は信長の後を追おうとしましたが、家臣に制止されたと伝わります。 家康は、堺から急ぎ三河に戻るために、決死の逃避行に入ります。 光秀は信長の同盟者である家康も狙っています。さらに落ち武者狩りを狙う暴徒もいました。実際に、家康と別の道を選んだ穴山梅雪は土民一揆に遭い殺されました。 家康は、京都
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、歴史を揺るがす謀反劇「本能寺の変」!織田信長、明智光秀に討たれ死す…です。 (本能寺本堂) ■家康を辿る物語 天正10年(1582)6月1日、明智光秀は約1万3000人の兵を率いて丹波亀山城を出陣。 中国毛利攻めの援軍として出発しましたが、途中で進路を変更します。 「敵は本能寺にあり」。 光秀は重臣らに主君・織田信長を討つ決心を明かすと、信長の滞在する本能寺へ向かいます。 翌日未明、光秀率いる1万3000人の軍勢は、本能寺を完全に包囲しました。 対する織田信長は、護衛として同行させた家臣らわずか150人ほど…。槍や弓などの武器しかなく、鉄砲などを装備した光秀軍を前に、なす術もありませんでした。 もはやこれまでと悟った信長は、寺に火
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、信長"天下布武"の象徴「安土城」!大手道や天守跡など圧巻の王城跡です。 ■家康を辿る物語 天正10年(1582年)3月、武田氏を滅ぼした織田信長。翌4月、甲州からの凱旋の途上、徳川家康から手厚いもてなしを受けます。 家康の信長接待「富士遊覧」。これにいたく満足した信長は、その礼として家康を安土城に招きます。 安土城は、天下布武の象徴として信長が築いた巨大絢爛な城でした。 同年5月、家康一行が安土に到着します。信長は家臣たちに丁重に家康を接待することを命じました。 なかでも、家康の安土饗応を一任されたのが、織田家臣団の重臣・明智光秀でした。 光秀は家康をもてなすために、宴を豪華に彩る調度品集めに奔走、京都・堺などから珍しい食物を集め
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康による信長接待"富士遊覧"!「富士山本宮浅間大社」「富士見石」です。 ■家康を辿る物語 天正10年(1582年)、甲州討伐に出陣した織田信長は、武田勝頼を自害に追い込み、武田氏を滅亡させることに成功しました。 信長は、その武田氏と長年戦ってきた徳川家康の功を労い、武田領のうち駿河国を家康に与えました。 これを受けて家康は、甲州から凱旋する信長を出迎える準備を進めました。 まずは、信長に与えられた駿河国と甲斐国を結ぶ街道の整備に取りかかると、休憩所や宿泊所を設置。道中、家康は信長に同行し、各地で手厚く接待しました。 信長と家康の一行は、富士山を観覧した後、白糸の滝、人穴などの名所を見学。2人で乗馬も楽しんだといいます。 家康は、
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、戦国の雄・甲斐武田氏、天目山に滅ぶ…武田勝頼終焉の地「景徳院」です。 (景徳院総門) ■武田勝頼の末路 かつては戦国最強と謳われた甲斐・武田軍…。 しかし信玄の跡を継いだ武田勝頼は、長篠設楽原の戦いでの大敗や度重なる軍役への不満鬱積もあって、次第に統率力を失っていきます。 天正10年(1582年)2月、武田一門衆の木曽義昌が離反。これを機に織田・徳川連合軍が甲斐に侵攻を開始します(甲斐征伐)。 すると武田方の武将は次々と勝頼のもとを離れます。一門衆の穴山梅雪が徳川家康に通じて離反、信玄の弟・武田逍遥軒も織田軍を前に逃亡しました。 兵力を大きく減退した勝頼は、諏訪から甲斐の新府城に撤退。その新府城も未完成であったことから火を放ち放棄
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、歴史好き・お城好きにはたまらないイベント、「お城EXPO2023」へ…。 城熱満載「お城EXPO2023」家康も信長も!写真も模型も貴重な図屏風も!です。 ■お城EXPO お城ファンにとっては年末の風物詩。これに行かないと年を越せない…。 国内最大規模のお城の祭典「お城EXPO 2023」がパシフィコ横浜で開催(2023年12月16日~17日)されました。 「お城EXPO」とは、城郭文化の振興と発展や、お城好きの方々との交流を目的として開催される日本最大級のお城イベントです。 日本各地のお城PRブースや貴重な資料展示、スペシャリストによる講演会など、お城ファン必見のコンテンツが盛り沢山。 今年で8回目となるお城EXPO2022のキャッチコピーは「城熱満載」(じょうねつまんさい)。 その言葉通り、たくさんの歴史好きやお城好
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、"高天神を制するものは遠州を制す"家康対勝頼「高天神城」をめぐる激戦の果てです。 ■家康を辿る物語 「高天神を制するものは遠州を制す」。 そう呼ばれた重要拠点・高天神城をめぐって、徳川家康と武田勝頼が激戦を繰り広げます。 天正2年(1574年)、勝頼は2万5千という大軍で徳川方の高天神城に攻め寄せます。 片や城方は城主・小笠原長忠以下1,000…。籠城して耐えるものの、武田軍の猛攻を前に降伏開城。高天神城は武田のものになりました。 対する家康は天正6年(1578年)、高天神城を締め付ける拠点として横須賀城を築城。 さらに周囲に「高天神六砦」と呼ばれる砦群を築き、兵糧や弾薬の補給を遮断します。 このときの城主・岡部元信は再三再四、勝
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「横須賀城」!高天神城攻略の拠点、玉石積みが美しい名城です。 ■家康を辿る物語 戦国時代末期、遠江の地をめぐって、徳川家康と武田勝頼が争奪戦を繰り広げました。 特に激戦となったのは、「高天神を制するものは遠州を制す」と称された高天神城です。 天正2年(1574)武田勝頼が当地に侵攻し、徳川方から高天神城を攻め取ります。 一方、徳川家康はその奪還をめざして、遠江横須賀後に前線基地(付城)となる横須賀城を築城します。 築城を命じられたのは大須賀康高。その配下の将とともに「横須賀衆」と呼ばれ、高天神城攻略の中心を担いました。 天正8年(1580)横須賀城が完成。さらに家康は周囲に6か所の砦(高天神六砦)を築いて、武田方の物
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、なぜ家康は妻子を死に追いやったのか?松平信康事件と浜松ゆかりの史跡です。 (清瀧寺) ■松平信康事件の真相 松平信康事件。天正7年(1579)、徳川家康の嫡男・信康と正室・築山殿が死に追いやられた事件です。 謎の多い事件ですが、前回の当ブログで、通説で言われているような織田信長の命令ではなく、家康自身が厳しい処断を下したという説を紹介しました。 家康が自らの手でわが子と妻を粛清した…。家康ファン、特に「どうする家康」の松潤家康ファンの皆さんにお叱りを受けるような説です。 しかしこの説、当時の諸情勢を見ると、いろいろと符合が合うのも事実です。 たとえばこの4年前に、信康の家臣・大岡弥四郎が武田勝頼に内通し、武田勢を岡崎に引き入れよう
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、謎多き「松平信康事件」!家康は信長の命で妻子を殺した?岡崎ゆかりの史跡へ…です。 (左:松平信康首塚、右:築山殿首塚) ■松平信康事件 長篠の戦いで武田軍を一蹴…。戦国大名として確固たる地位を獲得した徳川家康。 しかし、その足元で思わぬトラブルが起きていました。それは後に「松平信康事件」と呼ばれるものです。 家康の嫡男、松平信康。その妻・徳姫は、姑の築山殿(家康正室)との関係も悪く、信康との夫婦仲は冷え切っていました。 信康自身にも日頃から乱暴な振る舞いが多く、徳姫は父の織田信長に12か条に及ぶ書状を送りました。なかには、築山殿が武田氏に内通していると訴えるものもありました。 不信感を持った信長は、家康家臣の酒井忠次と大久保忠世を
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「諏訪原城」!徳川武田攻防の城、圧巻の中馬出を見よ…です。 ■諏訪原城をめぐる物語 武田信玄が没しても、武田の勢力は大きく衰えることはありませんでした。 跡を継いだ武田勝頼は、積極的に他国の領土に侵攻。隣接する徳川領にも侵出しました。 勝頼は、重臣・馬場信春に命じて、大井川の西側(遠江側)に城を築かせました。 それが、天正元年(1573年)に築城された諏訪原城です。ここを足場に勝頼は遠江への攻勢を強めます。 翌天正2年(1574年)には、父信玄ですら落とせなかった高天神城の攻略を成功させます。 難攻不落として知られていた高天神城を落としたことで、武田勝頼の名は全国に轟きました。 ところが天正3年(1575年)、長篠・
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「鳥羽山城」!家康反撃の狼煙、二俣城奪還に向けて築いた付城です。 ■家康を辿る物語 天正3年(1575)5月、長篠・設楽原の戦いで、織田・徳川連合軍が戦国最強と言われた武田軍に圧勝しました。 この勝利を受けて、これまで武田方に領土を多く奪われていた徳川家康が反転攻勢に転じます。 同年6月には、信玄存命時に奪われた二俣城に軍を出します。 その奪還に向けて、二俣城の近くに鳥羽山城など5か所の付城(前線基地)を築きました。 強力な包囲網のなか、二俣城側は守将・依田信蕃の懸命な指揮のもと、僅かな手勢で半年もの間城を守り抜きました。 しかし主君・武田勝頼の「甲斐に引き挙げろ」との命令もあって、同年12月、信蕃は城兵の安全な退去
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、織田・徳川連合軍と武田軍が激突「長篠・設楽原の戦い」!勝敗を決した馬防柵です。 ■家康を辿る物語 天正3年(1575年)5月18日、織田軍3万と徳川軍8千は、長篠城手前の設楽原に着陣しました。 織田信長は、連吾川に沿って三重の馬防柵を築き、鉄砲隊を主力とする陣形をつくると、騎馬隊の突撃に備えました。 5月20日、織田・徳川軍の到着を知った武田勝頼は、周囲の反対を押し切って決戦を行うことを決定します。 そして3千の兵を長篠城に押さえに残して、主力の1万2千を設楽原に移動させました。 5月21日早朝、武田軍の山県昌景が攻撃を開始し、長篠・設楽原の戦いが始まります。 武田軍は騎馬隊により馬防柵の突破を図りますが、織田・徳川方の鉄砲隊の攻
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、医王寺山「武田勝頼本陣跡」!進軍か退却か?武田の命運を左右する軍議の行方は?です。 ■家康を辿る物語 織田・徳川連合軍、来たる…。 長篠城の包囲を続けていた武田軍に、その一報が伝わります。 武田勝頼は直ちに、宿将を本陣に集め軍議を開きます。進軍か、退却か…。 信玄時代からの重鎮たち、山県昌景、馬場信春、内藤昌秀らは、信長自らの出陣を知って撤退を進言します。 一方、勝頼の側近である若手武将の意見は、信長何するものぞと開戦に積極的でした。 結局、勝頼は側近の意見を採り入れ進軍を決定。織田・徳川軍との全面衝突の道を選択したのです。 勝頼は、武田氏相伝の家宝「御旗楯無」を持ち出し、惑う家臣らに進軍を下知しました。 やむなく山県、馬場ら重臣
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、戦国版"走れメロス"!長篠城の危機を救った鳥居強右衛門ゆかりの史跡へ…です。 ■長篠城の危機を救った鳥居強右衛門 長篠城攻略に押し寄せた武田勝頼率いる武田軍…その数1万5000。 一方、籠城する城方は、奥三河の国衆である奥平信昌が率いる寡兵…その数500。 奥平軍は地形を生かしてよく戦いましたが、兵糧が尽き数日以内に落城の危機に…。 信昌は家臣である鳥居強右衛門を密使として放ち、約65km離れた岡崎城の家康のもとへ援軍を要請させることにしました。 夜陰に紛れて、豊川(寒狭川)に潜って、武田軍の厳重な警戒線を突破した強右衛門は岡崎城に到着。 そこで、信長の率いる援軍3万人が到着し、家康の手勢8,000人とともに長篠へ出撃する態勢であ
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「長篠城」!武田の大軍から城を守り切れ…5百対1万5千の戦いの行方です。 ■家康を辿る物語~長篠城攻防戦 元亀4年(1573年)、武田信玄死す。 武田方はその死を秘匿しましたが、徳川家康はその情報を把握し反撃に転じます。 徳川・武田の境にある奥三河の国衆を味方に引き入れ、奥三河の要衝・長篠城を攻撃。 同城を開城させると、再び徳川方に組み入れることに成功します。 一方、信玄の跡を継いだ武田勝頼も手をこまねいていませんでした。 天正3年(1575年)、1万5000の兵を率いて奥三河に侵攻。大軍で長篠城を包囲します。 このとき、長篠城は奥三河の国衆である奥平信昌が500ほどの兵とともに籠城していました。 奥平軍は寡兵ながら
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「野田城」!武田信玄が生涯最後に攻めた城、信玄狙撃伝説も…です。 ■家康を辿る物語 遠江の三方ヶ原で徳川軍を叩きのめした武田信玄は、続いて三河に向けて軍を進めます。 元亀4年(1573年)1月、徳川方の三河における属城のひとつ、野田城を包囲しました。 野田城は、小城ながらも丘陵地に建つ防御力の高い城でした。 城主・菅沼定盈は500余りの兵と共に野田城に籠城、30,000の武田軍の攻撃を耐えしのぎます。 すると信玄は、甲斐から金山掘りを呼び寄せて地下道を掘り、水の供給を断つ策に出ます。 結果として野田城は1ヶ月持ちこたえましたが、2月16日に城兵の助命を条件に開城降伏しました。 これにより、徳川の三河防衛線が崩れ、三河
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