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三浦半島に戦時中、「人間機雷」の基地があったって本当? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト
ココがキニナル! 「伏龍」の記事で衝撃を受け調べたら、人間魚雷「回天」基地が横須賀小田和、自爆ボー... ココがキニナル! 「伏龍」の記事で衝撃を受け調べたら、人間魚雷「回天」基地が横須賀小田和、自爆ボート「震洋」基地が三浦小網代と油壺にあって空襲によると思われる戦死者が出ているみたいなので調べて(ホトリコさん) 太平洋戦争において「特攻隊」といえば、ゼロ戦による空からの攻撃を思い浮かべる人は多いだろう。 しかし、空ではなく海を戦場とした水上・水中特攻隊がいた。 水上特攻兵器「震洋(しんよう)」(『写真集人間兵器震洋特別攻撃隊』より) 水上・水中特攻兵器はなぜ生まれた 1942(昭和17)年6月、ミッドウェイ海戦での敗北。 悪化の一途をたどる戦局を挽回するために、旧日本海軍が最後の望みを託したのが、水上・水中特攻兵器だった。 「特殊奇襲兵器」による作戦を提言したのは、軍司令部第2課長の黒島亀人(くろしま・かめと)大佐。山本五十六(やまもと・いそろく)の参謀として、真珠湾攻撃を成功に導いた人物だ
2019/07/29 リンク