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ココがキニナル! はまれぽでもたびたび取り上げてきた、桜木町駅の駅そば名店「川村屋」が、3月31日に123年の歴史に幕を閉じた。その最後の瞬間見届けたい!(はまれぽ編集部のキニナル) はまれぽ調査結果! 閉店を発表した3月に入ってから、駆け込み需要で連日大行列が続いた。最終日は笠原社長も手伝いに来て、閉店時は大勢のお客さんの前で最後のあいさつを行い、感謝を伝えた。 桜木駅構内(改札口手前横)のある、駅そば屋の「川村屋」が3月31日に閉店した。はまれぽでは何度も記事を掲載した人気店だった。 2011(平成23)の駅そば特集で、笠原社長にそばへのこだわりを伺った。 2015(平成27)年には、その年の8月4日に起きた、神奈川新聞花火大会にまつわるエピソードをスタッフが教えてくれた。 そして2016(平成28)年は、川村屋名物の青汁について笠原社長が再登場して解説してくれた。 桜木町駅構内で長く
ココがキニナル! 相鉄線の西横浜駅とゆめが丘駅はなぜそのように命名されたのか気になります。他の駅は平沼と平沼橋といったように地名と駅名がリンクしていることが多いのですが。(こーちゃさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 戦前に開業された西横浜駅と、その70年後に開業されたゆめが丘駅とでは、命名の理由はまったく異なっている。西横浜駅は路線延伸の歴史と、ゆめが丘駅は付近の再開発計画と関係していた。 「ココがキニナル!」の中では文字数の都合上カットしたが、「こーちゃさん」のキニナル投稿はさらに次のように続く。 「西横浜駅は横浜駅から距離もありますし、JR保土ヶ谷駅のほうが近く、街並み的にも“東保土ケ谷駅”のほうがしっくりくると感じます。ゆめが丘駅に至っては完全に謎で、半年後すぐ近くに開業したブルーラインはなんのひねりもなく下飯田駅と命名しています。」 (© OpenStreetMap contri
ココがキニナル! 閉園した横浜ドリームランドにあったホテルが大学の図書館になっていると聞いたんですが、どのように使われているのか気になります。また、ホテルの最上階にあった回転レストランの今は?(MOさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 図書館棟として利用されているエンパイアホテルの中には図書館、研究室、事務室などが入り、最上階の回転レストランは展望ラウンジとなっていた。 まだまだあるドリームランド時代の面影 話を聞くと、ドリームランド時代の面影が残っているのは図書館棟だけではなかった。 メインの講義棟や研究実習棟は新たに建築された建物だそうだが、それ以外はほとんどそのまま残っているとのこと。 教務課などがある本部棟 当時はホテルエンパイアに隣接する建物で、結婚式が行われていたそうだ。その面影は、教務課のある本部棟に見ることができる。 エントランスから見える大きな扉は、披露宴会場そのもの。
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 川崎市へ突入した稲毛道は、いよいよ佳境へ。目指すゴールは「大山道」の代表的な1本、「矢倉沢往還」との合流点だ。そこに至る道はまたしてもジグザグジグザグ…。 中原街道へ向かって 稲毛道(いなげみち)第4回は矢上川(やがみがわ)に架かる鷹の巣橋から始まる 歩く道は、ここまで散々お世話になった県道106号子母口(しぼくち)綱島線。しかしこの県道とは、またしても数分でお別れだ。 稲毛道はここで左の脇道に入る とはいえ、入ると早々に突き当たりが見える そのT字路を右へ するとすぐに大通りと合流 目の前の道は尻手黒川(しってくろかわ)道路だ。ここを道の流れのままに右折す
ココがキニナル! センター南駅近くの地名は「茅ヶ崎」ですが、湘南の茅ヶ崎市と関係はあるのでしょうか?(MRハニーさんのキニナル) 茅ヶ崎市と同じ由来!? まずは「カヤの生えた岬」説。 これは、『中川の地名』(吉野孝三郎著)という本に記されている。 センター南駅とセンター北駅の間を流れる早淵川の堤防などには、戦前までチガヤが密生しており、大昔にも同様にチガヤが茂っていたために付いた名前だという内容だ。 チガヤとはカヤの一種で、茅葺屋根に使われることでも知られる植物だ。 ただ、いつかも分からない大昔の植生について調べる術はない。 しかし、面白い話がある。 実は、念のためと思い、茅ヶ崎市にもその名の由来について問い合わせていた。 茅ヶ崎市役所から面白い話が聞けた 対応してくれた市史編纂担当の方によると、正確な記録はなく「昔話とか伝説というレベルの話ですが」と前置きした上で、「海岸にチガヤがたくさ
ココがキニナル! 朝ドラ「ちむどんどん」の舞台になっている鶴見。なぜ他県ではなく沖縄の方が鶴見に住まわれることになったのか、歴史がキニなります。放送が終わる前に調べていただければ幸いです(せりどんさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 鶴見に沖縄県系の人々が多い理由には、京浜工業地帯の発展と同時代の沖縄の経済事情、地縁血縁を重視する沖縄の人々の慣習、さらには横浜の国際港としての位置付けなどが関係していた。 鶴見には沖縄出身者とその二世・三世の方々が多く住む、いわゆる「沖縄タウン」がある。臨海部の工業地帯にほど近い現在の潮田町(うしおだちょう)・仲通(なかどおり)・浜町(はまちょう)・汐入町(しおいりちょう)付近のエリアだ。 赤い円の圏内がざっくりとした同エリア(© OpenStreetMap contributors) この界隈の「沖縄度」を調査した過去記事が、かつてはまれぽに掲載された「鶴
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 江戸幕府の天領だった稲毛領に向かって北上する稲毛道第2回は、「かまくら道下道」に沿って歩く旅だ。少しずつ古道らしい史跡も増えてくる。 中世の道を歩く 稲毛道(いなげみち)の第1回はここで終わった 写真右手の路地を下ってきて合流したこの道。後ろを振り向けば東横線菊名駅がすぐそばにある。そして、カメラを向けた先が稲毛道の続きだ。 前回の終わりに述べた通り、この道は鎌倉幕府成立後、東国武士が鎌倉へはせ参じるために整備された上・中・下3本の「かまくら道(みち)」のうちの一つ、「下道(しもつみち)」と重なる。とはいえ「かまくら道下道」は、鎌倉から東京湾を巻くようにして
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 道を歩けば歴史が見える! 古道シリーズ第五弾の「稲毛道」は、神奈川宿からかつて幕府の天領だった稲毛領に向かって北上する東海道の脇街道だ。その第1回は、ほぼ「東横線沿線をたどる旅」でもある。 稲毛道とは何か? 江戸時代、登戸(のぼりと)から川崎の広域に及んでいた橘樹郡稲毛領(たちばなぐんいなげりょう)の一部は、幕府直轄の領地である天領(てんりょう)で、そこでは良質な米が生産されていた。 おのずと都市と天領間の人々の往来は増え、そこに街道が生まれる。その道を「稲毛道(いなげみち)」と呼んだ。 大山(おおやま)詣りを目指す大山道が幾筋もあるように、稲毛道も江戸方面
ココがキニナル! 根岸の旧柳下邸付近には古くからありそうな、武家屋敷風の家が沢山あります。門構えが立派で雰囲気は抜群ですが、どうしてこの辺りにはそんな旧家が多いのか、歴史的な背景が知りたいです。(しげさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 旧柳下邸付近のお屋敷風の旧家には江戸時代以前にさかのぼる歴史が秘められていた。その代表的な一軒を訪ねると、貴重な古文書などが次々と目の前に現れ、さらに敷地の中にはいくつもの驚きの光景が! 「旧柳下邸」って何? JR根岸駅から徒歩10分足らずの「旧柳下(やぎした)邸」は、正確には磯子区下町(しもちょう)に位置する。 この付近は根岸の丘の裾野に沿ってちょうど区境になっているのだ。崖の上は中区、崖下は磯子区。とはいえ、もとをただせば同じ久良岐(くらき)郡根岸村だ。根岸駅も根岸小・中学校も磯子区に属することからも、古くからの「根岸」という土地は現在、二つの区にまた
ココがキニナル! かつて力士として存在した磯子山は、以前、磯子区の岡村町付近にあった磯子山と関係しているのでしょうか?ぜひ調べてください。(hidekunさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 力士・磯子山との関係は不明。だが、旧・磯子山に近い岡村天満宮と大相撲は深~い結びつきが。さらにそこから、戦争によって途絶えた岡村天満宮の幻の遷座がよみがえる! そもそも磯子山ってどこだ? hidekunさんのキニナル投稿には、さらりと「磯子区の岡村町付近にあった磯子山」と書いてあるが、現在の地図で見てもその場所はわからない。 赤枠内が磯子区岡村町 また、図書館に行って分厚い磯子区の郷土資料に目を通しても「磯子山」の記述はなかなか見当たらない。 こんなとき、ニッチな地域の歴史を調べるのにとても役立つのが、その地域の小学校の周年記念冊子だ。横浜市立磯子小学校の『創立130周年記念資料集 わたしたちのまち磯
ココがキニナル! 相鉄・東急直通線の新横浜駅出入口計画が発表されました。完成に向けて現在の工事の進捗状況を調査してください。(パッチョさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 1月27日付で、土木工事が概ね完了との発表が。新横浜駅では新出入口・改札の工事や歩道橋階段の復旧が行われ、新綱島駅では駅前の整理事業も進む。目黒線8両化や乗り入れ範囲も明らかに! 相模鉄道沿線からJR線および東急線に乗り入れ、都心方面へアクセスする新路線として相鉄・JR直通線と相鉄・東急直通線のプロジェクトが進められていることはすでに多くの人が知っているかと思う。 2019(令和元)年11月30日には、西谷~羽沢横浜国大間開通により、相鉄・JR直通線が開業した。開業に先立って、羽沢横浜国大駅舎や12000系の試乗会などを取材していたことは筆者も昨日のように覚えている。 2019年3月28日、開業前の羽沢横浜国大駅が報道関
ココがキニナル! 90年代後半からテレビや雑誌で大人気だった、ラーメン界の風雲児と呼ばれた店主が経営する「麺処 中村屋海老名」が休業との情報。詳しく知りたい!(はまれぽ編集部のキニナル) はまれぽ調査結果! 過去にも様々な人気ラーメン屋を取材してきたが、今回は今日のラーメンブームの立役者であり、カリスマ店主としてテレビや雑誌で引っ張りだこだった、「麺処 中村屋海老名」の中村栄利氏にクローズアップ! 一躍、時の人となった風雲児 中村栄利(なかむら・しげとし)さんは、学生時代にアメリカ留学し、帰国後の1999年、22歳の若さで大和市に「麺処 中村屋」を開く。 味や素材のこだわりはもちろんのこと、茹でた麺を麺上げするときに、腕を真上に挙げて一気に真下に振り落として湯切りをするパフォーマンスを「天空落とし」と名づけて、人気を呼び、当時は「燕返しの麺屋武蔵ニ天vs天空落としの中村屋」と、ラーメン界を
ココがキニナル! 青木橋は1870年にかけられたとされていますが、なぜか日本初の跨線橋は1872年にかけられた八ツ山橋と言われます。これはどうしてでしょうか。青木橋の歴史を調べて真相を確かめてください(ねこぼくさん) はまれぽ調査結果! 青木橋の完成は、記録によれば確かに八ツ山橋より早い。にもかかわらず八ツ山橋も日本初の跨線橋と呼ばれるようになったのは、鉄道開通期に合わせたからという可能性がある。 神奈川区ホームページ内の「神奈川区の歴史・主要事業」によれば、1870(明治3)年に「神奈川陸橋(初代青木橋)」が完成したとある。 いっぽう、東京・品川区の八ツ山橋(やつやまばし)は、品川区ホームページ内の「明治維新後の品川 第14回」に「明治4年(1871)5月15日に着工し、翌年1月14日に完成」と書かれている。 つまり2つを比較すると、青木橋の完成のほうが早いことになる。にもかかわらず、品
ココがキニナル! コロナ禍で遠くや人の多い場所を避け、県内の歴史人物像を巡っています。はまれぽ対象エリア内にも歴史上の人物像は多いと思うので、設立の経緯や関連史跡を特集していただけませんか?(なお♂さんのキニナル) はまれぽ調査結果! 今回は横浜市内中心部の銅像に対象を絞って調査した。けれども、さすが横浜。限られたエリアの中でも多種多彩なジャンルの、この土地ならではの人物像たちに出会うことができた。 はまれぽは神奈川県下全域を取材対象にしているので、「はまれぽ対象エリア内」となると、相当な数になってしまう。また、横浜市内に限って調べてみても、思いのほか多い。さらに人物像といっても、銅像・石像・木像と基材はさまざま…。 今回は、比較的誰もが足を運びやすく、しかも自由に見られることを念頭に、横浜中心部の公共スペースに置かれている銅像に絞って紹介することにした。 だが、そのように限定してみても、
ココがキニナル! 鶴見区の北寺尾第二公園・北寺尾渋沢公園周辺は、昔、牡丹園だったそうですが、どこを調べても詳しい当時の状況がわかりません。どれほどの規模で、なぜ閉園したのかなど調べてください(海の狸さんのキニナル) はまれぽ調査結果! 地元の郷土資料から詳細な情報を入手!そこは建築家・上遠喜三郎氏が開いた「上遠牡丹園」。大正末期の開園以来各地から多くの人々が訪れた名園だったが、昭和半ばに惜しまれつつ閉園し、今は住宅地に変わっている。 まずは現地へ飛ぶ 現場主義の筆者としては、まずはキニナル投稿者「海の狸」さんが指摘する場所を訪ねることにした。 場所はココ 便宜上、「北寺尾第二公園」を目印にした。距離的な最寄り駅は菊名だが、鶴見駅から臨港バスを利用して北寺尾七丁目で降りると、徒歩数分だ。 バス通りの県道からこの道を入ると まもなく道は上り坂となり、上り始めの左右にこんもりとした木々が 坂をは
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 江戸時代、鎌倉への近道観光ルートだった「吉田道」。その後編は中世に東国武士たちによってつくられた鎌倉道のひとつ、「中道」と合流。そしてついに市境を越え、現代の鎌倉観光の人気エリアへ突入する。 新橋を越え、「いざ鎌倉へ!」 前回の旅は「いたち川」の上に架かる「新橋(にいはし)」までで終わった。そしてここは、吉田道(よしだみち)と「鎌倉道中道(かまくらみちなかつみち)」の合流点であった。 新橋の手前にある交差点から進行方向を望む 橋を渡った先に吉田道がさらに続く。そしてその道は、イコール鎌倉道中道でもある。また、写真手前の左へカーブする先は、吉田道と分岐して北上
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 道を歩けば歴史が見える! 古道シリーズ第四弾の「吉田道」は、鎌倉に遊ぶ江戸庶民にとってショートカットの観光ルートだった。まずは広重の有名な浮世絵の舞台を起点に、ひたすら南下する。 せっかちな江戸っ子気質が生んだ道? シリーズ第三弾の「大山道(おおやまみち)」が大山を中心に関東一円に幾筋も放射状に広がっていたように、鎌倉へ通じる「鎌倉道(かまくらみち)」もまた多くのルートがあった。 鎌倉時代に東国武士団が各方面から「いざ鎌倉へ!」と馳せ参じる「上道(かみつみち)」「中道(なかつみち)」「下道(しもつみち)」が整備された。 江戸期に入ると、名所鎌倉へ向かう庶民の
ココがキニナル! 油壺マリンパークの閉園日はどんな様子だった?これからどうなるの?(はまれぽ編集部のキニナル) はまれぽ調査結果! 2021年9月、神奈川県を代表する油壺マリンパークが閉館。今後は大手デベロッパーと共同再開発を。12月2日に生き物たちの移動が無事に完了し、油壺マリンパークの歴史はVR化で残される。 2021(令和3)年9月30日、神奈川県三浦市にある、油壺マリンパークが惜しまれつつ、53年の歴史に別れを告げた。そこで閉園日の取材とともに、開園日からの歴史をまとめてみた。 東洋一の水族館が誕生 油壺マリンパークが誕生したのは、1968(昭和43)年4月27日。神奈川県立三崎水産高等学校(現・神奈川県立海洋科学高等学校)の移転による跡地に、京浜急行電鉄創業70周年記念事業として、誕生した。 当時の工事中の様子が展示されていた 規模も中身も日本一の水族館を作りたいという思いから、
ココがキニナル! 市営地下鉄の高島町駅は1面2線の島式ホームなのに、なぜ上下線の間が壁で仕切られているのでしょうか。建設時にわざわざホームを2分割にした理由が気になります。(こーちゃさんのキニナル) はまれぽ調査結果! ブルーライン高島町駅は1976年に開業したが、地下埋設物や地盤、国道1号線との関係でシールド工法により建設。線路ごとにトンネルを掘ったため、ホームは同じ階なのに2分割されている。 横浜市営交通は2021年で発足100周年!過去には市街地のあちこちに市電が行き交い、今はバスや地下鉄がその役目を担っている。実は横浜市営地下鉄の車両にも、横浜市営交通100周年記念ヘッドマークが掲出されているのだが、すでに見た人も多いのではないだろうか。 そんな横浜市営地下鉄ブルーラインに関するキニナルを今回は調査していきたい。投稿者の「こーちゃ」さんによれば、高島町駅のホームは上下線で分割されて
ココがキニナル! 鎌倉街道の曙町のあたりに、「パブレストランアポロ」って店があるのですが、どんな店でしょうか?以前から気になっていたんですが、入り口が二階だしとても入りづらくて・・・。(今宵月男さんのキニナル) はまれぽ調査結果! 入口から中が見えず入りにくいが、女の子ではなく素敵な老紳士が迎えてくれる老舗の名レストラン。ジュークボックスの音色も心地いい ずっとつづくアポロの時間 グラスを傾けながら店内を見渡す。 レトロな照明 布団張りの内壁 鳴ることのあるピンク電話 テープで補強されたカウンターは、ほどよくやわらかく自然と体が預けられる そしてジュークボックス レコードでのジュークボックスは珍しく、横浜市内に数軒しか残っていないのではないかと言われる。チャンさんの一番好きな曲だという、プロコル・ハルムのデビュー曲『青い影』(1967年)が流れた。 ジュークボックスは店を構えた時からあり、
ココがキニナル! 横浜駅周辺で「安い店ありますよ!」と声をかけてくる強烈キャラぞろいのキャッチのオニィさんたち。怪しい匂いがプンプンするがついていったらどうなってしまうの?(はまれぽ編集部のキニナル) はまれぽ調査結果! 連れて行かれるのは最低最悪の店から、「キャッチの人を雇う必要があるの?」と思うほどレベルの高い店まで様々。良いキャッチに出会うのは運次第。ご利用時は自己責任で・・・ 避けられるのか? 怒られるのか? 恐々会いに行くキャッチのおにぃさん 「キャッチに着いて行ったらどうなる?その1」で、はまれぽ編集部を絶望のどん底に陥れるほどの店を紹介してくれた「チャンスをください!君」ほか実にバラエティに富んだトーク、案内を繰り広げてくれたキャッチのおにぃさんたち。 未だに悪夢を見る強烈な店を紹介してくれた「チャンスをください!」君 「キャッチに着いて行ったらどうなる?その2」では、ひっか
ココがキニナル! 鶴見の総持寺は、明治時代に石川県から今の場所に移転したそうですが、あの場所は移転以前は元々何があったのでしょうか?どうして鶴見に移転してきたのか、理由が気になります。(NAKAKITAさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 能登にあった總持寺の大火災を機に、総本山を交通の便が良い場所へ移したいという声があったため、同じ曹洞宗の成願寺敷地が移転先に選ばれた 移転の歴史を説明するパネル展示は、非公開部分に 次は、本堂(佛殿)の隣に位置する「大祖堂(だいそどう)」へ。 1965(昭和40)年という比較的最近の完成となるが、比喩ではなく実際に「千畳敷」を誇る、巨大な建築物である。この地下に、今回の投稿に対する答えが隠されていた。 佛殿の真下を通る地下廊下を抜け、図の右上へ移動 年表と写真を使ったパネル展示が出現した これによると、移転前のこの場所には、同じ曹洞宗の「成願寺(じょうが
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 一筋の道をコツコツ歩く古道シリーズの第三弾! 今回は庶民の信仰への思いが形になった代表的な街道「大山道」の1本を、その起点から横浜市内の終点までたどる。第1回の中心は阿久和川沿いの道だ。 大山道とは、なにか? 伊勢原市北西端、丹沢山塊の南東部に「大山(おおやま)」がある。標高は1253メートル。 険しくそそり立つ山ではないが、横浜市内から富士山を眺めようとすると、たいがいその右手に寄り添うようになだらかな山容を目にする。 下の写真はいつの時代か不明だが、あまりにも典型的な景色なので紹介する。薄っすらと富士山と大山が見える。ちなみに撮影場所の大正村は、現在の戸
ココがキニナル! 日本丸は40年ほど前に神戸と誘致合戦をした覚えがあります。当時学校で署名し、横浜に決まった時は自分が呼んだかのように嬉しかったです。誘致決定までの経緯など調査願います。(よこはまたろうさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 神戸ばかりか10都市による誘致合戦を制した横浜市。そこには「生きたままの船」という画期的な保存・活用計画のレベルの高さとともに、今では夢のような市民と一体になった誘致運動の盛り上がりが関係していた。 帆船日本丸の誘致は、みなとみらい地区開発の第一歩だった 最近、同地区を歩いていると、頭上に銀色の物体が行き来している。 4月から運行を開始した汽車道沿いの「YOKOHAMA AIR CABIN」 かと思えば、赤レンガ倉庫の近くでは、巨大なクレーンが鎌首をもたげている。 赤レンガ倉庫側から南西の運河方向を望んだ光景 こうして今なお、日々変容し続ける場所、それが
ココがキニナル! JR横須賀線の拡幅工事は完成?/なぜ「総武快速線直通 東京行きです」という自動放送?/アナウンスと電光表示版が「電車」と「列車」の表記がある(マルタさん/そうてつボーイさん/skrsngさん/浜岩さん はまれぽ調査結果! JR横須賀線の拡幅工事は一応完成。「総武快速線直通 東京行きです」という自動放送はなかった。電車と列車の使い分けはJR独自の区分けによるもの 謎2:「総武快速線直通東京行き」に迫る! 次、「総武快速線直通東京行き」についてだ。「そうてつボーイ」さんからのキニナル投稿には・・・ 「JR横須賀線の東京行きって、なんで『総武快速線直通 東京行きです』っていう自動放送なの? 少しも総武快速線には行かないのに… 自動放送代をケチったの?」とある。 同ホームには、横須賀・総武線(快速)、湘南新宿ライン、成田エクスプレスなどが停車する このうち、横須賀・総武線(快速)
ココがキニナル! 横浜にかつてあった映画館、例えば関内アカデミーとか、伊勢佐木町東映とか・・・たくさんありますが、その歴史を整理してほしいです(ossangenerateさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 伊勢佐木町・馬車道通りの映画館街は戦争と敗戦の暗い時代を経て、ふたたび黄金期を迎える。だが時の流れはさらに止まず・・・。まだ記憶に新しい人も多いだろう「あの映画館街」の今の姿に迫る。 前回の記事は戦前の第一次映画館黄金期までで終わった。 だが大盛況の横浜宝塚劇場前の様子を紹介した同じ年に、日中戦争が始まったとも記した。 1937(昭和12)年の横浜宝塚劇場前の様子(神奈川県立歴史博物館所蔵) 以降、社会は刻々と軍事色を強め、表現への規制が高まっていく。すでに「娯楽の王様」に君臨していた映画への影響も大きくなるなか、ついに1941(昭和16)年12月7日、太平洋戦争が起きる。 戦時下から
ココがキニナル! 12月21日から運転開始される横須賀線新型車両E235系の乗車レポートをお願いします。(アサトさんのキニナル) はまれぽ調査結果! E235系1000番台は、山手線の0番台をベースに、トイレやフリーWi-Fiつきのグリーン車を備えた横須賀線バージョン。座席の座り心地の向上や案内表示の充実、優先席の色分けなど、快適で分かりやすい! 「アサト」さんのキニナルに記されている通り、2020年12月21日より横須賀線で新型車両「E235系1000番台」が運転を開始した。現時点で半年経ったので、すでに目撃したり、実際に乗ったりした人も多いかもしれない。筆者・若林もたびたび見かけたり、乗ったり撮ったりすることが増えてきた。 神奈川を走る新型車両とあらば、ぜひはまれぽとしても取り上げるべきでは!?と思っていたが、幸か不幸かはまれぽ内ではE235系1000番台に関する記事はまだない。「アサ
ココがキニナル! 川崎にある河原町団地の昭和のSFの巨大な未来都市のような景観がスゴイと思うのですが文化遺産などにならないのでしょうか?圧倒的な存在感が溢れていてこの空間を作ったコンセプトは貴重(タロー先生のキニナル) はまれぽ調査結果! 1960年代後半に建設、1972年に入居開始した河原町団地は比較的新しい建築物であり、耐震基準も満たしていて遺産になるのはまだ遠い未来の話 建築家、大谷幸夫と河原町団地 東京帝国大学第一工学部建築科在学中から、日本を代表する建築家である丹下健三(たんげ・けんぞう)氏の銀座地区復興都市計画、新宿地区復興都市計画競技設計に参加していた大谷氏は、1946(昭和21)年に卒業し大学院に進学、丹下健三計画研究室に所属した。 丹下健三氏のもとでは広島平和記念資料館や旧東京都庁舎の設計にも参加しながら都市工学の講義を担当する。その後、一度大学を離れるが再び東京大学に戻
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 一筋の道を丁寧に歩き「旅する感覚」を再現する古道シリーズ。王道の東海道・横浜市内全踏破を終えた今、筆者の足は数多ある脇街道へと向かう。その第一弾は、江戸時代に「観光ルート」としてにぎわった金沢道だ。 鎌倉幕府ができると、関東以北の武士たちが馳せ参じる道として鎌倉へ至る3本の道が整備された。西側から「上道(かみのみち)」「中道(なかのみち)」「下道(しものみち)」。 このうち下道は現在の東京湾を巻くようにして鎌倉から房総半島まで至っていたが、金沢道(かねさわみち)はその下道の一部だった。 東海道保土ケ谷宿の金沢横丁から分岐して金沢八景に至る、金沢道の全行程は以
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