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高校野球あれこれ 第157号 - ぼくらのサイトⅢ
リニューアル前の甲子園 こういうのを、旋風というのだろう。1986年センバツ。前年秋のチーム打率.291で... リニューアル前の甲子園 こういうのを、旋風というのだろう。1986年センバツ。前年秋のチーム打率.291で、出場32チーム中最下位だった新湊(富山)が、次々と優勝候補を倒してベスト4まで進んだのだ。 率いたのは、檜物政義監督。仏壇漆塗りの「塗師」として生計を立てながら、母校の指導にあたっていた。こう振り返る。 「もともと力がないチームで、しかもあの年は大雪。練習不足は目に見えています。だから、ほかの高校はみんなウチと対戦したいんですよ。抽選会で、私たちの2列前に座っていたのが享栄(愛知)。対戦が決まると、彼らは立ち上がってバンザイをしました。一方私たちはシュンとなってね……」 なにしろ享栄といえば、翌年中日入りし、デビュー戦でノーヒット・ノーランを達成する近藤真一がエースの優勝候補なのである。ところが、だ。その享栄を1対0で破り、2回戦では、前年の関東覇者でやはり優勝候補の拓大紅陵(千葉)