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捕鳥部万の墓/義犬塚 | 日本伝承大鑑
【ととりべのよろずのはか/ぎけんづか】 31代用明天皇の崩御から32代崇峻天皇の即位までの僅か3ヶ月の... 【ととりべのよろずのはか/ぎけんづか】 31代用明天皇の崩御から32代崇峻天皇の即位までの僅か3ヶ月の間に、日本史上重大な政変が起こっている。大陸より伝来した仏教を巡る対立を発端として、蘇我馬子を中心とする勢力が物部守屋の一族を滅ぼしたのである。この顛末は『日本書紀』にも当然記録されているが、同書にはこの物部氏滅亡の後に起こった“事件”についての詳細が書かれている。 物部守屋に仕える者の中に捕鳥部万という剛の者がいた。蘇我氏との戦に備えて難波にあった守屋の邸宅を守るために100人の兵を率いていたが、守屋が河内の本拠地で敗死したことを知るとすぐに兵団を解散させ、単独で妻の実家のある茅渟県(ちぬのあがた)の有真香邑(ありまかむら)へ移動した。朝廷はこの行動を万の反逆とみなし、数百の兵をもって討ち果たそうとした。 身の危険を知った万は山へ逃げ込み、竹に縄を掛けて揺することで兵達を攪乱し、矢を放っ