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右大臣に任じられた源実朝に見る、朝廷と幕府、天皇と鎌倉殿の複雑な関係 鎌倉殿の時代(44)右近衛大将と左近衛大将 | JBpress (ジェイビープレス)
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右大臣に任じられた源実朝に見る、朝廷と幕府、天皇と鎌倉殿の複雑な関係 鎌倉殿の時代(44)右近衛大将と左近衛大将 | JBpress (ジェイビープレス)
(城郭・戦国史研究家:西股 総生) 官職において頼朝を超えた実朝 建保6年(1218)3月、実朝は左近衛大... (城郭・戦国史研究家:西股 総生) 官職において頼朝を超えた実朝 建保6年(1218)3月、実朝は左近衛大将に任じられました。この時点で、実朝はすでに正二位の位階を得ています。亡き頼朝は正二位・右近衛大将でしたから、位階としては頼朝に並んでいます。 ただし、律令官制では右より左の方が格上。右大臣より左大臣、右衛門尉より左衛門尉の方が上となります。たとえて言うなら、同じ営業部でも第1部長の方が第2部長より格上、みたいなものです。 もちろん、右近衛大将より左近衛大将の方が格上ですから、官職において実朝は頼朝を超えたことになります。これと併行して、上洛した政子が従三位(じゅさんみ)の位を授けられています。 平安時代の貴族社会では、三位以上が政策決定に参与し、全国から吸い上げた富を山分けする立場のトップセレブ。すなわち、荘園領主=私領である荘園のオーナーや、知行国主=国のオーナーとなることのできる