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システィーナ礼拝堂の壮大な天井画と《最後の審判》、最高傑作の裏にあるもの もう一度学ぶ西洋美術史(第5回)神のごときミケランジェロ・後編 | JBpress autograph
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システィーナ礼拝堂の壮大な天井画と《最後の審判》、最高傑作の裏にあるもの もう一度学ぶ西洋美術史(第5回)神のごときミケランジェロ・後編 | JBpress autograph
「絵画は自分の本分ではない」といって憚らなかったミケランジェロでしたが、ユリウス2世の命でシステ... 「絵画は自分の本分ではない」といって憚らなかったミケランジェロでしたが、ユリウス2世の命でシスティーナ礼拝堂の1000平方メートルに及ぶ天井画を4年の歳月をかけて完成させます。 文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美) システィーナ礼拝堂天井画への挑戦 1508年、33歳のミケランジェロは教皇ユリウス2世からヴァチカンのシスティーナ礼拝堂天井画の制作を命じられます。ラファエロらのほうが適任と主張したそうですが却下され、いやいやながらも請け負います。 かつての工房の兄弟弟子6人が助手として参加して、制作は始まりました。彫刻家として活躍していたミケランジェロはフレスコ画制作の経験に乏しかったのですが、彫刻にとってもデッサンが基本と考えていたため、その訓練も重ねていました。また、解剖学も勉強していたことから、彫刻で表そうとした躍動感や肉体表現をここでも目指しました。