エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
ルワンダ虐殺はなぜ起きたのか
今やルワンダ虐殺におけるベルギーの責任が霞んでしまっている。フランスが自国の責任を認める報告書を... 今やルワンダ虐殺におけるベルギーの責任が霞んでしまっている。フランスが自国の責任を認める報告書をついに公表し、注目を一手に集めているからだ。しかし、かつての植民地支配者としてのベルギーの責任は[フランスのように]数年ばかりのものではなく、数十年に及ぶものだ。始まりは第1次世界大戦後、それまでドイツの植民地だったルワンダとブルンジの委任統治をベルギーが国際連盟から受けたときに遡る。 まったく知らない2つの小国を遠く離れた場所から統治するにあたり、ベルギーは間接統治を行い、現地の統治構造、この場合はムワミ(国王)が支配する神権による封建的な権力構造を利用することに決めた。国王レオポルド2世の私領地だった広大なコンゴよりずっと貧しいこの統治領にあまり費用をかけたくなかったベルギーは、アフリカにいる白人神父たちの力を借りて、福音伝道を植民地支配の1つの手段にすると同時に「開発」の力にしようとした。