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沖縄、台湾をつむぐ:川平家物語/3 琉球国の崩壊、目の当たり | 毎日新聞
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沖縄、台湾をつむぐ:川平家物語/3 琉球国の崩壊、目の当たり | 毎日新聞
ガラス乾板に写された古い写真がある。「かたかしら」と呼ばれる琉球の成人男性が結うまげにひげを伸ば... ガラス乾板に写された古い写真がある。「かたかしら」と呼ばれる琉球の成人男性が結うまげにひげを伸ばしている。眼光鋭く、威厳あふれる風貌が目を引く。1872年、明治新政府を祝うため琉球使節の一員として東京を訪れた川平朝彬(かびらちょうひん)さんが、芝で撮影した。朝清(ちょうせい)さん(93)の祖父だ。 「尚泰(しょうたい)を琉球藩王となし、華族に列す」。9月14日、琉球使節の正使・伊江王子朝直(ちょうちょく)らは明治天皇から詔書を突き付けられた。琉球国を強制的に併合する「琉球処分」の第一歩だった。通訳の朝彬さんは日本語と琉球のことばを訳しながら、琉球国の崩壊を目の当たりにしていった。 琉球藩の設置を急いだのには別の事情があった。この前年、琉球を揺るがす大事件が起こった。琉球・宮古島の船が年貢を納めた帰路に遭難して台湾東南部に漂着し、乗船者66人のうち54人が先住民パイワン族に殺害された。琉球使