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渇愛と目標・意欲の関係/ブッダの言葉は脳にパンチを浴びせる(スマナサーラ長老の法話より) - ひじる日々
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渇愛と目標・意欲の関係/ブッダの言葉は脳にパンチを浴びせる(スマナサーラ長老の法話より) - ひじる日々
Q:渇愛はよくないというが、人生の目標・意欲は必要ではないかという疑問が起こる。渇愛と目標・意欲の... Q:渇愛はよくないというが、人生の目標・意欲は必要ではないかという疑問が起こる。渇愛と目標・意欲の関係について教えていただきたい。 A:これは大切なポイントです。生命は生存欲で生きている。「生きていきたい」と意欲が起こると、そこに恐怖感と怒りが出てくる。生命は認識対象を敵・味方で区別するのです。自分に有効だと思ったら好きになるし、害があると思ったら敵意を抱く。本当に害があるかどうかは分からないが。敵か味方かという見方を捨てれば、蛾や虫もかわいくみえるのです。 何が私たちを生かしているのか? 神ではない。それは渇愛というのです。ブッダは渇愛を三種類に分けています。欲愛、有愛、非有愛です。人間には昆虫と違って、ものごとを考える能力がある。概念をつくってしまう。しかし、大したこと無い能力です。概念がなくても、他の生命はちゃんと判断して生きている。人間は動物と違って、もっとややこしい世界を作る。存