エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
古典や漢文は「人生の役に立たない」のか | キャリコネニュース
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
古典や漢文は「人生の役に立たない」のか | キャリコネニュース
古典や漢文は人生の役に立たないのか、というテーマの論争は、ネット上で繰り返し起きている。直近だと2... 古典や漢文は人生の役に立たないのか、というテーマの論争は、ネット上で繰り返し起きている。直近だと2月、カンニング竹山が『ドーナツトーク』(TBS系)で「いまだ古典が役に立ったなと思ったことが1回もない」と発言したことをきっかけに盛り上がった。ただ、個人的には古典・漢文が役にたっていると思うし、日本語を使う仕事をしているなら、みんなそうではないのか。ためしに周囲にいるライターや編集者たちに聞いてみた(文:昼間たかし) 「勉強していたときは完全な無駄だと思っていたが……」 筆者は別に古典に詳しいわけではないのだが、それでも古典や漢文の知識が役立つ場面に何度も遭遇した。ライター稼業では、様々な人と会話をすることになるが、学校で習うレベルの古典文学は幅広い年代で「共通の話題」となってくれる。雑談をしているうちに『源氏物語』や平安時代に話題が及ぶことはあるし、たとえば相手が「源氏物語の末摘花のように