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終戦の日 親日国モンゴルの原点となった抑留日本兵慰霊碑を関西の企業経営者らが訪れたわけ(相澤冬樹) - エキスパート - Yahoo!ニュース
8月15日、74回目の終戦の日。日本を遠く離れたモンゴルの首都ウランバートルの郊外。緑に覆われた小高い... 8月15日、74回目の終戦の日。日本を遠く離れたモンゴルの首都ウランバートルの郊外。緑に覆われた小高い丘の中腹にある慰霊碑を、関西の企業経営者らの一行が訪れた。 終戦後、ソ連軍の捕虜となった日本軍兵士らがシベリアなどに送られ、過酷な労働を強制されたシベリア抑留。その中には、ソ連の友好国だったモンゴルに送られた兵士もいた。1万2000人以上が抑留され、モンゴルの酷寒の冬と重労働に耐えられず、およそ1500人が亡くなったという。この慰霊碑は、モンゴルに抑留され犠牲となった人たちの霊を慰めるため日本政府が設けた。 青年海外協力隊員としてモンゴルにいた安藤弘晃さん(撮影・相澤冬樹) 企業経営者らは、いずれも成長著しいモンゴルでビジネスチャンスをつかもうと訪れている。ビジネスと無縁に思えるこの慰霊碑をなぜ訪れたのか?日本から一行を案内してきたコンサルタント会社経営、安藤弘晃さん(38)は語る。「これ
2023/12/24 リンク