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第2回 死者のコトバ 若松英輔|水俣コラム
先日、作家の大江健三郎が亡くなった。彼の『持続する志』と題する本のなかに「原民喜を記念する」とい... 先日、作家の大江健三郎が亡くなった。彼の『持続する志』と題する本のなかに「原民喜を記念する」という講演の記録が収められている。そこで大江は原爆投下後の広島を描いた小説『夏の花』にふれ、「まだ開いたまま終わっている、すっかり小説が閉じられてしまわないままで終わっている」と述べ、ここで問われているのは解決がつくというたぐいの出来事ではないことを語気強く語る。 この文章を読みながら、自ずと原田正純の『水俣病は終っていない』を想い出した。この問題に終わりがくることはない、というのは水俣病事件に深く寄り添った原田の実感だった。 現代人は大きな困難に直面すると、どうやってそれを解決するかを考える。だが、原民喜も大江健三郎も原田正純も安易な解決よりも、それと向き合い続ける道があることを示そうとする。彼らに共通しているのは、生者は亡き者たちによって問われているという実感である。 石牟礼道子に「もうひとつの