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”弱者”がなぜ”羨望”されるのか?ー「傷ついた」と言えない人たち|小野ほりでい
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”弱者”がなぜ”羨望”されるのか?ー「傷ついた」と言えない人たち|小野ほりでい
さて、ネット上には傷ついていると主張する人にむかって「そんなことでいちいち傷つくな」とか「被害者... さて、ネット上には傷ついていると主張する人にむかって「そんなことでいちいち傷つくな」とか「被害者ぶるな」とわざわざ唾を吐きかけにくる人が沢山いますね。一般論としては、この人たちは「自分の加害者性を認めていない」のだと批判されがちです。しかし、今回はむしろ「この人たちが認めていないのは自分の弱者性や被害者性のほうではないか」という視点の話をしてみたいと思います。 前半では、すでに何度か説明した「傷つきやすい人」に過敏反応する人ほど精神的に弱いという逆説について書いています。本題である「弱者への羨望」というねじれた現象に関しては後半から触れているので、必要な方は読み飛ばしてください。 傷つきやすい、“イノセント“な自己像 さて、「弱者をいたわるなんてとんでもない!」というマッチョ論は注意深く観察すれば必ずひとつの矛盾にぶつかることがわかります。「弱者をいたわるなんてとんでもない!」と主張する人