エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「日本」と書いてヤマトと読む|Prof. Nemuro🏶
秦が滅びた後、大戦争を経て漢(前漢)が成立するが、その戦争の中で漢の始祖劉邦は諸侯国「漢国」を領... 秦が滅びた後、大戦争を経て漢(前漢)が成立するが、その戦争の中で漢の始祖劉邦は諸侯国「漢国」を領有する諸侯「漢王」となり、中国を統一すると国号をそのまま「漢」とした。 『文藝春秋』p.361この法則を日本に当てはめると、統一国家としての漢字の国号の「倭」「日本」と旧大和国の読み方が同じ「ヤマト」なのは、王業基盤が確立した地が現在の奈良県だったことを示唆しており、これと「邪馬台が倭の中心勢力だった」「邪馬台をヤマトと読む」ことを合わせれば、奈良県の大和三山付近にあった邪馬台国がヤマト王権へと移行したと推定できるということである。他地域の地方政権がヤマト地方に移動して統一政権を打立てたのなら、「倭」はヤマトとは読まれない。 興味がある人は文藝春秋か論文「邪馬台国畿内説の新証左」を読んでもらいたい。 参考最も確実なところでは、近江令を修正した大宝令それをさらに再修した養老令において、とくに外交上
2024/05/03 リンク