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にゃるら全作品論 ―あらかじめ消滅している父・絶えず自壊する母―|桜上水廉介
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にゃるら全作品論 ―あらかじめ消滅している父・絶えず自壊する母―|桜上水廉介
だが既に見たように若い批評家の言葉の中ではそのふるまいに対してさえ、どこかでそれは「子」である自... だが既に見たように若い批評家の言葉の中ではそのふるまいに対してさえ、どこかでそれは「子」である自分を裏切った「母」、つまり「妻」の責なのだという論理があらかじめ成立している。 大塚英志『江藤淳と少女フェミニズム的戦後』上野 「母」をつくるのも、男と女の、いわば共犯的な行為だとしたら、「母」を壊すのも共犯的な行為だから、男が「母」を喪失する時、同時に女は自分の手で「母」を壊してるんです。 上野千鶴子・小倉千加子・富岡多恵子『男流文学論』 『黒と黒と白のプリュネル』 母殺しのミソジニー にゃるら原作『黒と黒と白のプリュネル』は、主人公・和摩(わすれ)が母親の死体を発見するシーンで始まる。トイレットペーパーを口に含んで自殺した母親の死体は股の間から尿を垂れ流し、その様はさながら詰まった便器である(「キッチン」という本来衛生が最重要視される場かつ「母」の象徴である場所において、この「母」が詰まった