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日中戦争から太平洋戦争中の「英米語追放」は、指示なし。統制担当者や地域の気分で。|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
英米語を、最初に「外国かぶれ」として撤去を推進したのは政府でした。日中戦争下の1940(昭和15)年、... 英米語を、最初に「外国かぶれ」として撤去を推進したのは政府でした。日中戦争下の1940(昭和15)年、国民精神総動員という名目の中、まずは手本を見せようと、駅のローマ字表記や英語の案内表示撤去、たばこ「ゴールデンバット」を「金鵄」と改名するなどしました。このころは日中戦争じり貧から物資不足も顕在化してきたころで、国民の不満を「日本精神」で引き締めさせるかのような取り組みでした。地域でも、洋風看板撤去などがポチポチ行われました。 ◇ 太平洋戦争勃発とともに、学校現場からの英語教育が縮小されていく傾向が表れます。そして、最も大きな影響を与えたのは、内務省などによる1943(昭和18)年1月13日の米英音楽演奏禁止リスト発表でした。ジャズなどの「退廃音楽」を演奏したり聞いたりするのは日本人を堕落させるといった理由付けですが、その程度で堕落する精神しか持ち合わせていなかったのでしょうか。 これに呼
2023/11/17 リンク