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『アリスとテレスのまぼろし工場』感想ー岡田麿里200%と新海誠とのシンクロニシティ|砂拭
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『アリスとテレスのまぼろし工場』感想ー岡田麿里200%と新海誠とのシンクロニシティ|砂拭
『アリスとテレスのまぼろし工場』を傑作と呼ぶのは、少し違うと思う。世界観や仕掛けについて説明不足... 『アリスとテレスのまぼろし工場』を傑作と呼ぶのは、少し違うと思う。世界観や仕掛けについて説明不足だし、疑問に思う部分も多い。 けれど自分のなかでは、ここ数年で最もぶっ刺さり、心揺さぶられる作品となった。その魅力を言語化すると鮮度が失われてしまうような気もするが、感想をしたためてみたい。 【ネタバレ前提です】 コロナ禍のメタファーではなく岡田麿里の自叙伝本作は、コロナ禍の閉塞感を表現した作品に思えて、やはり岡田麿里監督の自叙伝なのだと思う。もちろん、原因不明の事故によって時が止まった見伏市と、コロナ禍を重ねる意図はあるだろう。 しかし物語が進むと、主題は閉じた世界からの脱却でも打開でもなく、「異常な世界でも、自分を変えることはできたんだ」と、閉塞した世界を含めての肯定が描かれているとわかる。 これはやはりコロナ禍よりも、岡田麿里の「どこにも行くことができなかった青春時代」を指していると考える