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「自民公明党」「立憲共産党」「国民維新の会」の3択を迫られる時代が来たときに「メディア」はどうあるべきかという話|宇野常寛
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「自民公明党」「立憲共産党」「国民維新の会」の3択を迫られる時代が来たときに「メディア」はどうあるべきかという話|宇野常寛
さて、今日は先日取り上げた「東京15区問題」の続き、だ。前回は近い将来、僕たちは「る可能性が高く、... さて、今日は先日取り上げた「東京15区問題」の続き、だ。前回は近い将来、僕たちは「る可能性が高く、そしてどれも選べない人たちがカルト保守に騙されていく……というウンザリする展開のシミュレーションとその僕なりの対抗案を考えた。 そして今日は「メディア」の話だ。 僕はこの問題に背後にあるのは、確実に国内言論の、55年体制というか戦後的な構造への「回帰」の問題だと考えている。 おそらくこのままでは日本は90年代の「新保守」的な感性が「改革」の御旗を掲げて、昔ながらの偽善的な「左翼」を冷笑的に攻撃し続ける、といった状況がしばらく続くのだと思う。 具体的にはこの先日本は逃げ切れそうな(と思い込みたい)自称「勝ち組」が、「日本はまだそこそこ大丈夫」と嘘をついて、「本当に大事な部分では」なるべく社会を「変えないように」訴えていくだろう。もちろん、彼らの喧伝より速く日本はだめになっていくので、弱い立場の人