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【引退】“ら”から這い上がった曽ケ端準の23年間 ジーコが語った「すべての選手はソガを目指すべき」(池田博一)
始まりは“何クソ”という思いからだった。 「僕以外の同期5人は、全国高校サッカー選手権大会で活躍した... 始まりは“何クソ”という思いからだった。 「僕以外の同期5人は、全国高校サッカー選手権大会で活躍した選手ばかりだったんです。いつも記事には5人の名前が順に並んで、『中田浩二、本山雅志、小笠原満男、山口武士、中村祥朗ら』。僕は、“ら”の1文字で扱われていた。そこはメディアに対して“何クソ”という気持ちがありましたね」 1998年、鹿島アントラーズへ加入。日本サッカーを牽引してきた『ゴールデン・エイジ』と呼ばれた79年組は、どの選手も大いに注目された。そんな6人のうち、唯一高校サッカーではなく、アントラーズユースから昇格したのが曽ケ端準だった。 1979年8月2日、茨城県鹿嶋市で生まれた。小学2年から2歳上の兄の影響でサッカーを始めた。GKになったのも、すぐだった。 「小学3年になったとき、チームにGKがいなかったので自分からやりたいと言ってGKになりました。それからずっとGKです」 兄とサッ
2020/12/25 リンク