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アントニオ猪木79歳が「イラクの戦友」と再会…湾岸戦争直前、あの“人質解放”の知られざるウラ側「猪木さん、残ってください」(原悦生)
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アントニオ猪木79歳が「イラクの戦友」と再会…湾岸戦争直前、あの“人質解放”の知られざるウラ側「猪木さん、残ってください」(原悦生)
アントニオ猪木は懐かしそうに微笑んだ。目の前には約30年前、1990年12月の“人質解放”の際に、猪木のイ... アントニオ猪木は懐かしそうに微笑んだ。目の前には約30年前、1990年12月の“人質解放”の際に、猪木のイラクでの活動を熱心に後押ししてくれた野崎和夫さんがいた。 野崎さんは当時、伊藤忠商事に勤務していたが、イラク政府内に自身で開拓した独自のルートを持っていた。 「イラクには先に三菱などが入っていたので、うちは自分でルートを見つけなければいけなかった。ちょうど内務省に空手を教えている人がいまして、そのツテから私は顔を売ることができたんです。他の商社に負けないように自分のルートを作り始めました」 12月2日と3日にバグダッドで開催された「平和の祭典」を終えた翌朝、猪木がイベント関係者と一緒にトルコ航空のチャーター便に荷物をチェックインした時、野崎さんが現れた。猪木から託されたサダム・フセインあての長い手紙をしかるべきところに届けてから、野崎さんは空港にやってきたのだった。 「猪木さん、残って