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17歳の日本人ピッチャーが最強アメリカに快投…「何点でも取れる」日本野球を見下すベーブ・ルースを驚かせた“沢村栄治の伝説”(太田俊明)
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17歳の日本人ピッチャーが最強アメリカに快投…「何点でも取れる」日本野球を見下すベーブ・ルースを驚かせた“沢村栄治の伝説”(太田俊明)
当企画で重視している”打者圧倒度”の指標となる1試合当たりの被安打数は、沢村の5.09に対して、山本は5.... 当企画で重視している”打者圧倒度”の指標となる1試合当たりの被安打数は、沢村の5.09に対して、山本は5.76と、これも沢村がリード。奪三振率は、沢村の7.23に対して、山本が9.57と圧倒しているが、投手力が弱かった当時の巨人でフル回転せざるを得なかった沢村は、少ない投球数で打たせて取る投球に徹していたとされ、チームメイトだった300勝投手・スタルヒンは「沢村は天才ですよ。自分で三振を取ろうと思ったら何ぼでも取れた」と証言している(「ベースボールマガジン」1955年2月号)。 他に、打者圧倒度の指標にしている防御率、WHIPでも沢村が勝っていることから、沢村に軍配を上げたい。 これで、オールタイム王者が沢村栄治、昭和後期以降のパートタイム王者が山本由伸となった。 沢村栄治の最期 20歳で中国戦線に出征した沢村は、昭和15(1940)年にプロ野球に復帰するが、戦地で手榴弾を投げ続けて肩を壊