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荒井献「イエス・キリスト 上」(講談社学術文庫) - odd_hatchの読書ノート
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荒井献「イエス・キリスト 上」(講談社学術文庫) - odd_hatchの読書ノート
小学校3年生のときに「ヨハネによる福音書」をもらって読んでから、イエスは気になる人だった。折に触れ... 小学校3年生のときに「ヨハネによる福音書」をもらって読んでから、イエスは気になる人だった。折に触れて福音書を読み直しているが、謎めいているのには変わりない。この人がとても重要であるのはわかるのだが、自分とのかかわりをどのようにまとめていけばよいのか手がかりがないのだ。 それは自分一人のことではないらしく、この本でも「イエスを語ることは自分を語ることだ」、さらに変形して「イエスを語ることはイエスによって変えられた自分を語ることである」と言っている。イエスを語ることが、自分語りになる、その境目を見極めて適切な位置を保つのは容易なことではないらしい。なにしろ、イエスの言行の解釈はローマ・カソリック教会、ギリシャ正教会、プロテスタント、イングランド国教会、コプト・シリアなどの国民正教会などに分かれていて、その中の分派がいったいいくつになるのか、そのうえ無教会派の人たちが研究会を開いているとなると、