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粘土と言葉 - ohnosakiko’s blog
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粘土と言葉 - ohnosakiko’s blog
学校で人体彫刻を学んでいた期間だから、だいたい16歳から20歳くらいの頃。塑像の心棒を作るのが好きじ... 学校で人体彫刻を学んでいた期間だから、だいたい16歳から20歳くらいの頃。塑像の心棒を作るのが好きじゃなかった。 小割り(3、4センチ角の角材)と番線をシュロ縄で括りながら組み立てるのだが、これで大丈夫と思って粘土をつけていくと、中の心棒に対して過剰に粘土がついてしまったり、逆に小割りの端が表面に出てきてしまったりということが時々ある。心棒を作った時点での、量の中心の見極めが甘いからだ。 心棒を作る前はクロッキーを何枚も描いていて、「こういう感じで」というイメージがある。ところが粘土をつけ出すとだんだんそのイメージが弱く思えてきたり、「もうちょっとこうしたい」という予定外のことが出てきて、その結果、心棒と粘土の量がバランスを崩す。 仕方なくつけた粘土を一旦取って、その部分の心棒を足したり切ったりして作り直す。モデルさんを囲んで作っているクラスメートたちは、「あーあ‥‥」と笑い半分同情半分の