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消えた遊郭・赤線跡をゆく 三津浜稲荷新地編 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
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消えた遊郭・赤線跡をゆく 三津浜稲荷新地編 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
「坊っちゃん」の降り立った地-三津浜 三津浜の遊郭-稲荷新地 電柱に残る稲荷新地の跡 おまけ 「坊っ... 「坊っちゃん」の降り立った地-三津浜 三津浜の遊郭-稲荷新地 電柱に残る稲荷新地の跡 おまけ 「坊っちゃん」の降り立った地-三津浜 三津浜(みつはま)は、愛媛県松山市街の北西にある港町です。 古くから伊予水軍の本拠地であり、江戸時代から明治後期にかけて全国から船が寄港し、ヒト・モノが行き交った盛り場でした。 その後は北部に建設された高浜港に「松山港」としての地位を譲りますが、現在でも漁港・近海旅客船の拠点、そして松山市内のベッドタウンとなっています。大阪に例えたら堺のようなところかなと。 かつての三津浜が隆盛ぶりを示す、間接的な証拠があります。 大正時代の「三津浜Walker」的な案内書、『みつが浜』(大正12年刊)*1内に掲載された銀行の広告です。 銀行から融資してもらうためには担保が必要ですが、昔の担保は不動産だけではなく、米や海産物など現物も多々有りました。その現物を保管する倉庫、担