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大トロはゴミ扱いされていた…あらゆる魚を食べる江戸っ子が「マグロ」には見向きもしなかった理由 昭和初期まではタダ同然で取引されていた
1日に1億円が動いた江戸の魚河岸 江戸っ子は、魚をとにかくよく食べました。体の基盤になるたんぱく質は... 1日に1億円が動いた江戸の魚河岸 江戸っ子は、魚をとにかくよく食べました。体の基盤になるたんぱく質は魚介類からとり、活力を養っていました。江戸っ子の魚好きを支えたのが、現在の東京日本橋あたりに開かれていた「魚河岸」です。その様子は、『東都名所日本橋真景并ニ魚市全図しんけいならびにういちぜんず』という浮世絵に表されています。 日本橋川には荷物を積んだ船が何艘も行き交い、慶長8(1603)年につくられた日本橋が架けられていました。橋の長さは約50メートル。その東に架かる江戸橋までの北岸が、魚河岸と呼ばれた地域です。 魚河岸からは富士山が大きく見え、たくさんの人々が集まり、魚を売り買いしていました。その広大な魚河岸に大量の魚が集められ、高級魚から下魚までが順番にずらりと並べられていました。 魚河岸では、1日に千両という大金が動いたといわれます。千両とは、今の金額に換算してなんと1億円。ちなみに、
2022/06/13 リンク