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NHK大河ドラマは根本的に間違っている…「鎌倉殿の13人の御家人」が史実としてやったこと 「日本の歴史上、初めて合議制で政治が動いた」は本当か (3ページ目)
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NHK大河ドラマは根本的に間違っている…「鎌倉殿の13人の御家人」が史実としてやったこと 「日本の歴史上、初めて合議制で政治が動いた」は本当か (3ページ目)
13人が一堂に会した史実はない 同年6月には、梶原景高(景時の次男)の未亡人の所領を頼家が安堵あんど... 13人が一堂に会した史実はない 同年6月には、梶原景高(景時の次男)の未亡人の所領を頼家が安堵あんど(土地の所有権を承認、保証)している(同書 正治二年六月二十九日条)。 ちなみに、この年の1月に、梶原景時や景高は、幕府の討伐を受け、敗死している。その景高の妻(未亡人)は、自分への処分がどうなるかと怯えていたが、所領が安堵と決まり、胸を撫で下ろしたようだ。これは単なる所領安堵というよりは、政治絡みの案件と言えるだろう。 「十三人の合議制」といわれることから、13人が一堂に会して、談合したように思うかもしれないが、現在のところ、それを示す史料はない。 実際にあった「合議」の中身 とはいえ、一部のメンバーによる「合議」がなかったわけではもちろんない。 例えば、(頼家は既にこの世にいないが)義時の最大の危機とも言える承久の乱(1221年)の時だ。 同年5月19日、北条政子は御家人たちの前で有名な