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死にたくもないし生きたくもないし歩きたくもない――『信長の野望・出陣』について - 名馬であれば馬のうち
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数えた足跡など 気づけば数字でしかない BUMP OF CHICKEN「カルマ」 走る街を見下ろして のんびり雲が... 数えた足跡など 気づけば数字でしかない BUMP OF CHICKEN「カルマ」 走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく 毎日、歩いている。 そりゃ、歩くだろう、とおもわれるかもしれない。動物なんだから。そこそこ健やかな人間は一生のうちにおよそ一億五千万歩を歩く*1。よほどの事情でもないかぎり、歩かない日はない。歌にも歌われているように、幸せは歩いてはこず、むしろ音速に近いスピードでわれわれの前をかすめて置いてけぼりにしていく。不運な人間としては肩をすくめてとぼとぼと歩いていくしかない。 しかし、「あなたはほんとうに生きているのか?」と指をさされて問われれば誰もがたじろいで即答しかねるように、「歩いているのか?」という問いには何か単純な動作のあれこれと異なる別な疑問がはらまれている気がする。 たとえば、幸田文は「歩く」*2というエッセイでこう自問している。 「歩く」とはいったい何だろう。