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実写とアニメの境を見直す杉本穂高の連載開始 第1回は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』評
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実写とアニメの境を見直す杉本穂高の連載開始 第1回は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』評
涙は明日への希望なり 1950年代、メロドラマの巨匠ダグラス・サークはアメリカンドリームの中で抑圧され... 涙は明日への希望なり 1950年代、メロドラマの巨匠ダグラス・サークはアメリカンドリームの中で抑圧される女性たちを描いた。メロドラマはミュートされた弱者の本音を代弁するための物語だと先に書いた。本作において抑圧された弱者はヴァイオレットのような女性だけではない。 強権的な兄の元で様々なことに耐えていたギルベルト。ヴァイオレットを戦場で道具として扱うしか選択肢のなかった自分を呪って、彼は自責の念という牢獄の中にいる。 ホッジンズがギルベルトを訪ねる時、彼の部屋はあまりにも暗い。その暗い部屋でギルベルトは決してホッジンズの方を向かない。ホッジンズが開けたドアから外の光が見えるが、部屋から出ることはない。部屋から出る瞬間は描かれず、いつの間にか消えて、次に登場する時はやはり自室の部屋の中である。彼もまた何かに囚われていることを暗喩する。 本作のカメラについて少し説明したい。本作のフレームは終始安