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19世紀で人口“4億人超”…資源にあふれた中国が「近代化に遅れた」理由
どんな国においても、分岐点が存在する。いかにしてその国は出来て、発展したのか。今回は米中対立でそ... どんな国においても、分岐点が存在する。いかにしてその国は出来て、発展したのか。今回は米中対立でその動向が注目される中国を取り上げ、「国家台頭」と「近代化」の時について解説しよう。 ※本稿は、『歴史街道』2021年8月号の特集「日本史と世界史の転換点」から一部抜粋・編集したものです。 中国王朝が興亡を繰り返した理由 紀元2世紀前後、インドにおいて、中国はサンスクリット語(梵語)で「チーナ・スターナChina staana(「チーナ人の土地」という意味)」と呼ばれていました。「チーナ」は初代統一王朝の秦を表わしており、これがヨーロッパにも伝わり、英語の「チャイナChina」やフランス語の「シーヌChine」になります。 6世紀末の隋王朝時代、インドから伝来した経典の中に、「チーナ」の呼び名があり、当時の訳経僧がこれに「支那」という漢字を当て、一般化しました。 「チーナ」つまり「秦」が中国国家の
2021/07/29 リンク