エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
<書評>『「御願じょうず」なひとが知っていること』 暮らしにつながるもの - 琉球新報デジタル
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
<書評>『「御願じょうず」なひとが知っていること』 暮らしにつながるもの - 琉球新報デジタル
私は子供の頃、祖父と母と与那国島で暮らしており、終業式の日に通信簿をもらうと見せる順番があった。... 私は子供の頃、祖父と母と与那国島で暮らしており、終業式の日に通信簿をもらうと見せる順番があった。祖父、母、そして仏壇のご先祖さまたちだった。私はそれなりに欲のある子供で、線香をお供えしながら「頑張ったから良いことがありますように!」と、ご先祖さまに話しかけながら手を合わせていた。 幼い頃から死者や神様の存在を身近に感じていたのは、島の生き字引のような祖父のおかげだ。何事にも旧暦や六曜を重んじ、供物や言葉や祭事について教えてくれた。 そんな祖父のような存在がいる家は、御願(うがん)に親しみがあり、令和となった現在も生活の一部となっていることだろう。 しかし、生活様式や社会が変わり、考え方も世代間では異なる今、御願の行事は簡易化され、意味も分からず形だけが残り、そして忘れ去られていることも少なくない。忙しいから、めんどくさいから、と言ってしまえば、それまでかもしれないが、御願は私たちの暮らしに