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わたしの、本気の反万博論 その69 欲望の専門家がこの土地は欲しくない、とか、この建物はどうしても手に入れることができない、とか、はっきり言えないのは、究極の自虐である。しかし、それが2025年大阪万博から見えてくる現代日本(世界?)の「消費文化」のまぎれもない実像である。 - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]
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わたしの、本気の反万博論 その69 欲望の専門家がこの土地は欲しくない、とか、この建物はどうしても手に入れることができない、とか、はっきり言えないのは、究極の自虐である。しかし、それが2025年大阪万博から見えてくる現代日本(世界?)の「消費文化」のまぎれもない実像である。 - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]
たとえば、インターネット上でニュースを1時間しらべて、「わたしならばどんな値段でも夢洲という土地... たとえば、インターネット上でニュースを1時間しらべて、「わたしならばどんな値段でも夢洲という土地は欲しくない」という発言をしている人物が見つかるか。驚くほど見つからないのである。 夢洲がほしい、という発言なら叩かれるかもしれない、そこはまだわかる。だが、あんな条件の悪い土地はほしくない、とは言えないというならば、欲望の専門家であるかのような消費文化の立場は根拠がなくなってしまう。究極の自虐であり、強いものへの強烈なすり寄りだ。 あれをみて、これこそ一番悪い意味での臆病者だと言うしかないと思った。 わたしは、だいたい、10パーセントしかまちがっていないはずだ。 ここが、第二次世界大戦との比較検討につけくわえるべきことだ。本当に驚くべきことだが。