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おんな城主直虎は「国衆」の物語 - 明晰夢工房
真田丸の前半は「国衆」の物語だった 真田丸を通じて有名になった学術用語と言えば、「国衆」だと思いま... 真田丸の前半は「国衆」の物語だった 真田丸を通じて有名になった学術用語と言えば、「国衆」だと思います。 真田丸の前半は真田昌幸の物語と言って良い感じだったのですが、昌幸は自分のことを「国衆」と認識していて、「国衆の生き様を見せつけてやる」(うろ覚えですが)という台詞も口にしています。 戦国大名とはいえない程度の小勢力である「国衆」の昌幸が大勢力の北条や徳川、上杉を手玉に取りつつ、巧みに立ち回る小気味よさが真田丸の前半の醍醐味でした。 なぜ、武田家の家臣であったはずの昌幸が「国衆」なのか? 真田家は昌幸の父の幸綱(幸隆)の代では真田家は外様のような扱いで、昌幸の代になってようやく譜代の家臣として認められため、昌幸の代になってもまだ国衆としての意識が残っていたのかもしれません。 実際、勝頼が滅びる前からすでに北条氏への従属を打診するなど、昌幸の振る舞いは国衆そのものです。 戦国大名には及ばない
2016/11/20 リンク