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伏線回収と認知のあり方とか初期クイーン作品のロジックが嫌われる理由とかいまいちよくわからない印象論が先行する理由とかを考える - ななめのための。
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伏線回収と認知のあり方とか初期クイーン作品のロジックが嫌われる理由とかいまいちよくわからない印象論が先行する理由とかを考える - ななめのための。
鮮やかなロジックなどと言われるときに想像されるのはエラリー・クイーンの国名シリーズなのだけれど、... 鮮やかなロジックなどと言われるときに想像されるのはエラリー・クイーンの国名シリーズなのだけれど、実際本格ミステリを読んでいて、論理の運用それ自体に鮮やかさを感じられるかといえば微妙なところなのではないかと思うときがある。なぜなら論理は突き詰めれば突き詰めるほど飛躍の余地がないわけであって(だからこそ「論理のアクロバット」などというなかば矛盾した表現が使われることがある)、ほんらい鮮やかさ巧みさといったものとは無縁のものであるはずなのだ。よく数学的と言われるような論理の運用こそがクイーンの鮮やかさを示すのであれば、1+1=2は鮮やかさの象徴となってもいいのだろうけれど、文系人間の自分にとっては納得ができない。四則演算はあくまで四則演算でしかない。そのくせ美しいロジックとか意味不明なことを言うから必要以上にクイーンを嫌いになる被害者が生まれるのだ。しかし実際のところ、客観性・論理性といったもの