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桜が咲く少し前に、滋賀県長浜市西浅井町菅浦にある「菅浦湖岸集落」を訪れました。備忘録のつもりで書... 桜が咲く少し前に、滋賀県長浜市西浅井町菅浦にある「菅浦湖岸集落」を訪れました。備忘録のつもりで書きます。 菅浦湖岸集落は琵琶湖の最北端にある集落で、平成26年重要文化的景観にも選定されており、眼前には竹生島があります。『平家物語』にも平経正(清盛の甥っ子)が木曾義仲追討の際に、この辺りから竹生島に渡る様子が描かれていますが、水の音だけが延々と聞こえる、まるで時が止まったような本当に静かな場所でした。 何よりもここは『ホツマツタヱ』伝来に関わる重要な地域でもあり、今回私は景色を見るというよりも(景色も当然素晴らしかったのですが)、その歴史の一端に触れたくて訪れました。 景行天皇の御代に『ホツマツタヱ』をまとめたオオタタネコの末裔に、和仁估容聡という人物がいます。この和仁估容聡も江戸時代中期に、ヲシテ文献の研究に一生を投じた人でしたが、『生洲問答』(中江藤樹記念館所蔵)という書物を残しています