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「1年生議員はつらいよ」明治末期の新人議員の理想と現実
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「1年生議員はつらいよ」明治末期の新人議員の理想と現実
1908年から1912年にかけて衆議院議員を務めた鹿児島県の高原篤行。「新人議員」として4年間の任期を終え... 1908年から1912年にかけて衆議院議員を務めた鹿児島県の高原篤行。「新人議員」として4年間の任期を終えた彼が、自身の政治活動を振り返ったインタビューに答えています(「鹿児島県九代議士議会感想録」所収)。 希望に満ちた新人議員に、国会はどのように見えたのでしょうか。 議場はまるで小学校の討論会場? 高原篤行は、1908年(明治41年)に行なわれた第10回衆議院議員総選挙に鹿児島県郡部7区から出馬、見事当選を果たします。 高原が「鹿児島県九代議士感想録」への取材に応じたのは1912年(明治45年)。国会議員として初めて国政に携わった4年間について振り返っています。 この1908年から1912年までの4年間は、主に第2次桂太郎内閣の時代でした(1908年〜1911年)。 当時、勃興していた社会主義運動に対しての風紀引き締めが強く行なわれ、1910年(明治43年)5月25日には、明治天皇の暗殺