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小さな村を舞台に起きた地主×小作人の「一大戦争」
昭和7年1月、栃木県塩谷郡阿久津村(現在の高根沢町)で、地主と小作人との間で大騒動が勃発、死者4名、... 昭和7年1月、栃木県塩谷郡阿久津村(現在の高根沢町)で、地主と小作人との間で大騒動が勃発、死者4名、重傷者9名を出す大事件へと発展してしまいます。 襲ったのは小作人側。亡くなったり怪我をしたのは地主側でしたが、その背景には警察をも抱き込んだ地主側からの不当な弾圧がありました。 小さな村を二分した騒動となった「阿久津騒擾事件」についてお届けします。 社会主義の台頭に危機感を覚える「生産党」 大正14年、20歳以上のすべての男子に選挙権を与える普通選挙法が成立すると、社会民主主義を掲げる無産政党が集合離散を繰り返します。 数年を掛けて結成、分裂、合流を繰り返した後、昭和7年7月24日に社会民衆党と全国労農大衆党が合併し社会大衆党が誕生、やっとのことで無産政党はひとつになります。 その半年前の昭和7年1月、栃木県塩谷郡阿久津村(現在の高根沢町)で起こった阿久津騒擾事件は、この全国労農大衆党(以下