エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
昭和お城ヒストリー 〜天守再建に懸けた情熱〜 【岩国城(山口県岩国市)】平和な時代ならではの再建
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
昭和お城ヒストリー 〜天守再建に懸けた情熱〜 【岩国城(山口県岩国市)】平和な時代ならではの再建
岩国城は、日本三大名橋の一つ、錦帯橋越しに眺めることができる風光明媚な城である。全国的にも珍しい... 岩国城は、日本三大名橋の一つ、錦帯橋越しに眺めることができる風光明媚な城である。全国的にも珍しい南蛮造(唐造)の天守と錦帯橋の組み合わせは、思わずため息をもらすほどうつくしい。 そんな城の起源は、「三矢の教え」で有名な毛利元就の孫にあたる吉川広家までさかのぼる。慶長5(1600)年、天下分け目の「関ヶ原の戦い」で西軍について敗れた吉川広家は、所領を12万石から3万石に減らされ、岩国の地に封じられる。天下の趨勢は戦いに勝利した徳川家康に傾いたとはいえ、まだまだ予断を許さない状況が続いていた。そのため、主要街道である山陽道を見下ろせ、川幅約200mの錦川を天然の外堀に見立てた標高216mの横山山上に城を建造したのである。 しかし、5年の歳月をかけて築かれた城は、元和元年(1615)の一国一城令により、完成からわずか7年で取り壊しが決定される。広家は「周防国内には岩国城一城しかない」と訴えて城の