サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
GPT-4o
shirobito.jp
お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは廃城令。かつて全国には3000にも及ぶ城が築かれ、数百基の天守が建っていました。しかし、現在まで残った天守はわずかに12基。なぜ、無数に築かれた城は激減してしまったのか。その大きな原因となった「廃城令」について解説します。 井伊家の居城・彦根城は廃城令で存城となり、老朽化した天守は破却されることになってしまう。しかし、彦根を行幸した明治天皇が名城を惜しみ保存が決まったという(保存を提案したのは、随行していた大隈重信だったとも) 関ヶ原の戦い後、天下人となった徳川家康によって江戸幕府が開かれ、日本は戦国乱世から合戦のない平和な世へ向かっていくわけですが、先の天下人の一族である豊臣家を壊滅させるための決戦が、近い将来必ずあると見ていた大名たち。これに備えて地方に国替えになった豊臣恩顧の大名を
近世城郭観光の魅力といえば、なんと言っても美しい天守や櫓。巨大な建物は眺めるだけでもワクワクしますし、最上階から眺めはそれまでの疲れを吹き飛ばしてくれます。そんな、天守や櫓などの歴史的建造物や、それらが建つお城の敷地内に泊まれる新しいサービス「城泊」が近年広がっています。どんなお城でどんな体験ができるのか? 城泊ができるお城とその魅力を紹介します!※2021年7月2日初掲載
お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは城と河川の関係。周囲を海に囲まれ、流れの速い河川を多数有する日本では、古くから水と上手に付き合うことが大切でした。それは、築城においても同様。城や城下町造りの際に治水を怠れば、せっかく造った町が水びたし…なんてことも。戦国〜江戸時代の大名たちは川とどのように付き合っていたのか、武田信玄・徳川家康などの治水工事を例に築城と治水の関わりを紐解いてみましょう。 群馬県の大水上山を水源とし、栃木県、埼玉県、東京都、千葉県、茨城県を流れる利根川。古くから暴れ川として知られ、為政者たちは治水に頭を悩ませていた 国土の4分の3を山地が占める日本。豊富な山水は、川を流れて海まで至るわけですが、近年でも大きな洪水が甚大な被害をもたらしているように、我々日本人にとって、川とのお付き合いは人生を左右する大切な
お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。「お城防御の最終兵器」と言われて、何を思い浮かべますか? 今回はちょっとマニアックに、お城好きであってもあまり知らないであろう、「逆茂木(さかもぎ)」「乱杭(らんぐい)」を紹介します。弥生時代にはすでに存在していて、城が急速に発達した江戸時代以降も使われ、しかもコストがほぼかからない。そんな夢のような防御兵器、「逆茂木」「乱杭」とはいったい何でしょう?
お城にゆかりの御城印・御朱印・武将印・御城印帳 お城のご朱印!?登城記念に「御城印」を集めてみませんか? 近年、神社や寺院の御朱印がブームとなっていますが、お城にも登城の記念となる「御城印」なるものがあることをご存知ですか? 城びとでは、各城にどのような「御城印」があるのか、「御城印」がどこで購入できるのかなどを徹底紹介。城主の花押が象られた松本城や月に祈る山中鹿之助が印象的な月山富田城など、個性豊かな「御城印」が盛りだくさんです! ※2018年8月9日公開。2023年9月26日現在(【北海道・東北編】山形城追記) 342城紹介
年末年始の恒例行事といえば、紅白歌合戦や初詣、年賀状に並んで、天皇陛下や皇族がお出ましになる新年の一般参賀が挙げられるでしょう。毎年1月2日に行われ、必ずテレビでも中継される一般参賀。2019年は今上天皇退位前の最後の一般参賀だったこともあり、例年より参賀者は多かったそうです。 天皇陛下の住居であり、一般参賀も行われる皇居がかつての江戸城だったことはよく知られています。この江戸城、紹介されるにあたり、「日本一の江戸城」と評されることが少なくありません。江戸時代には徳川将軍が住み、明治以降は天皇の住まいとなった江戸城は、確かに日本一にふさわしい歴史と格式を持っているように感じますが、実際には何が「日本一」なのでしょうか。
「現存天守」とは、江戸時代までに建てられ、修復されながら現在まで残っている天守のことです。日本全国に、現在12基しかありません。安土城(滋賀県)以降、江戸時代までに数百基の天守が建てられたといいますが、現在はなぜたったの12基しか残っていないのでしょうか? 天守は、まず織田家中で広まり、豊臣政権時代に全国津々浦々に普及しました。そして、大規模な大名の配置換えのあった関ヶ原の戦い後は、諸大名が新天地にこぞって城を築きました(これが「慶長の築城ラッシュ」です)。すべてに天守があったわけではありませんが、この時に天守もたくさん誕生したはず。しかし江戸時代に入ると、徳川幕府の「一国一城令」と「武家諸法度」により一部の例外を除いて、大名の居城となる1城以外の城の破却と城の新築工事の禁止が定められます。この時、全国に3000ほどあった城が170ほどに激減したといいますから、実に約95%を失ったことにな
特集 「出張!お城EXPO in 滋賀・びわ湖 2023」とあわせて訪ねたい!徳川家康が宿泊した永原御殿
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『城びと - お城を知って、巡って、つながるサイト』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く