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現在の京都は豊臣秀吉が造った - ウェブ1丁目図書館
京都の鴨川に架かる橋はいくつかありますが、その中で有名なのは、牛若丸と弁慶が出会った場所と伝わる... 京都の鴨川に架かる橋はいくつかありますが、その中で有名なのは、牛若丸と弁慶が出会った場所と伝わる五条大橋、東海道五十三次の終着点である三条大橋でしょう。 どちらも、古くから鴨川に存在しているように思われがちですが、三条大橋を架けたのは豊臣秀吉なので、その歴史は意外と浅いです。ところで、豊臣秀吉はなぜ三条大橋を鴨川に架けたのでしょうか。 三条大橋がなくても生活に困らなかった 三条大橋は、豊臣秀吉の五奉行の一人である増田長盛が、天正18年(1590年)に架橋したものです。擬宝珠の銘文から、今後の人々の往来を助けることを目的に架橋したことになっています。 しかし、それは表向きの理由で、豊臣秀吉は別の目的で三条大橋を架けたのだと、作家の高野澄さんは、著書の『京都の謎 戦国編』で述べています。 この頃の豊臣秀吉は、関白太政大臣になり、聚楽第を造営し、刀狩りと検地も行って、事実上、天下人となっていまし
2023/07/16 リンク